46.植物群落の遷移


大阪府立泉北高等学校
木村 進

1 伊豆大島火山噴出物上の植物群落調査
【実習のねらい】

 植物群落の遷移については、数百年という長期間を要する現象なので、実際に同じ植物群落を追跡調査して実証することは困難である。そこで、同じ地域に成立した時期がわかっている植物群落があれば、それらを調査して並び替えることによって、群落の遷移の様相を推測するという方法をとることで、長い年月を要する群落遷移について知ることができる。この場合に、ある場所に植物がいつごろから侵入し、群落が形成され始めたかを現時点で正確に知ることが重要であり、この点で遷移の研究対象は、噴出年代のわかっている溶岩上や山火事跡地・伐採跡地などに限定される。この実習では、まったく植物の存在しない溶岩上から始まる一次遷移にともなって、その群落の環境条件や諸特性がどのように変化していくかについて、手塚泰彦氏によって伊豆大島において詳細に調査されたデータをもとに考察させようとした。この実習で取り上げた伊豆大島の三原山は、最近では1986年にかなり大規模な溶岩流出が生じたことは、記憶に新しい。

 

調査結果データについて】

1.このプリントのデータは、手塚氏の1958〜1960年の調査結果(参考文献参照)に基づくものであり、教科書などにもよく引用されている。原論文では噴火時期の異なる4つの時期に噴出した溶岩上のそれぞれ2〜3地点ずつ、合計9地点の調査データがあり、一部の地点については未調査となっているが、実習プリントの作成に当たってはそれぞれの時期毎に典型的と考えられる1地点ずつの計4地点を選び出した。ただし、生産速度については原論文では触れられておらず、他の群落の調査結果等を参照して、筆者が考察のために推測したものであることをお断りしておきたい。このようなデータの改造はやってはいけないこととご批判があることと思うが、生徒の理解を助けるためということでお許しいただきたい。

2.「植生図」や「遷移と土壌の発達の模式図」は、原論文中の図を元にして筆者が一部改変したものであるが、群落の断面図と土壌の断面図とはまったく別の図として掲載されているが、これらをいっしょにまとめた。また、「A,荒原」については原論文に群落の模式図がないので、筆者が現地の観察結果(1986年の噴出溶岩上の、噴火後15年経過した2001年8月における荒原の状態)も参考にしながら、推測して描いた。

【指導上の留意点】

1.図1〜4まではいずれも折れ線グラフを描けばよいが、図の左側に●で示す項目、右側に○で示す項目をとって示している。グラフ作成時には、2本のグラフを実線と点線や、黒線と赤線のように視覚的にわかりやすいように区別するように指導するとよい。

2.地点Aは火口付近で植物がまばらに生える荒原であり、溶岩流出後10年も経過していない。地点Bは陽樹からなる低木林で、噴出後200年近くなる地域である。地点Cは1270年余り経過した溶岩地で、かなり樹高も高い常緑樹と落葉樹の混交林(混合林)である。また、D地点は噴出年代ははっきりしないが、島の一部の社寺に残存する森林(愛宕山など)で、おそらく三原山の以前の噴火で生じた伊豆大島の母体をなす岩上に成立した極相林に近いものと考えられる。

3.また、この例では極相に達するまでに1000年以上の年月を要しているが、これはどんな遷移にでもあてはまるわけではなく、伊豆大島が海洋の孤島であるために種子の恐供給が少ないことと、溶岩などから始まる一次遷移であるためである。山火事や伐採の跡地から始まる二次遷移の場合は、土壌もある上に土壌中に埋土状態で種子や地下部も残っているために遷移の進行は速く、一般に100年〜数百年で極相に達するものと考えられる。

4.実習を効果的に行うためには、それぞれの群落がどんな状態であるかを、視覚的に把握させることが望ましい。たとえば、伊豆大島のスライドや写真(多くの教科書や図説類にも取り上げられている)を前もって見せるとよい。

【結果】


図1

考察】

先駆植物(パイオニア植物)

種子は風によって遠くの群落から運ばれてくる。

しだいに増加していくが、D地点では減少する。

(原因) 時間がたつほど運ばれてくる種子の種類も増加し、環境もよくなるので種類数

は増加していく。しかし、常緑広葉樹林になると、林内が暗くなってそれまで生

育していた陽生植物は枯れてしまう。

群落の高さ・生物体量は、遷移の進行とともに増加していく。

  (原因) 遷移が進むにつれて、土壌が発達して有機物量も増えて植物が大きく生育できるようになるため。

生物体量がしだいに増加していくのに対し、生産速度はC地点でピークとなりD地点

では減少している。これは、常緑広葉樹林の方が老齢化した樹木が多く、植物体全体に占める光合成器官(葉)の割合が低下するためである。

極相

表1

【参考】伊豆大島における一次遷移について

@ 過去の遷移とその研究

伊豆大島が最初に海面上に姿をあらわしたのは、今から100〜200万年前といわれている。その後、100〜200年毎に爆発的噴火を繰り返し、火山体を成長させてきた。植物群落の遷移の研究対象となる噴出年代がはっきりしているものは、愛宕山のスダジイ林が成立している場所が約4000年前と最も古く、その後、684年・1778年・1950年・1986年のそれぞれの火山活動による噴出物が知られており、多くの高校生物の教科書でも取り上げられている。データの出典は、最新の1986年の噴出溶岩を除いて、手塚泰彦氏によって1957年から3年間にわたって行われた調査結果に基づく研究論文(植物研究雑誌17巻3号)である。

この論文では、遷移系列がdesert(砂漠・荒原)→scrub(低木林)→混合落葉常緑樹林→常緑広葉樹林の4段階に分けて記述され、植生以外にも林床の光条件や土壌条件・生物体量についても、調査がなされてあり、日本の遷移研究の中でも、先進的総合的で極めて重要な研究であると評価されている。

A 遷移初期の様相について

筆者は、2001年8月に日本生物教育会全国大会の現地研修で伊豆大島を訪れ、実習プリントにある植物群落を観察することができた。中でも、1986年噴火における火山噴出物上の遷移初期の植生を詳しく観察・調査を行い、その結果の一部は研究会会誌に報告した(木村 2002)。伊豆大島の初期遷移が観察できる群落の多くは、溶岩とそれらのすきまに堆積したスコリアと呼ばれる火山灰や溶岩の破片などからなる堆積物の上に成立した植生であり、現地研修の主担者でもあり、噴火当時、東京都立大島高校の教員(生物科)であった市石博先生の調査報告(市石2001)なども参考にして、噴出後の遷移の経過について箇条書き的にまとめておきたい。

1) 噴火4ケ月後、溶岩上に地衣類を発見したが、その後は大きな広がりは見せなかった。

2) 噴火直後は黒こげ状態であったオオバヤシャブシの幹から一時的に緑の葉が出たが、8ケ月には、1本を残してすべて枯れてしまった。

3) 噴火8ケ月後には、スコリア上にハチジョウイタドリとススキが発芽し、この年の終わ

りには被度5%になった。

4) 噴火から3年半後の1990年5月に、溶岩上に初めてハチジョウイタドリを発見。この

後、枯れることなく定着し、毎年株は大きくなり、多数の種子を散布するようになった。

5) その後、地衣植物やコケ植物は溶岩上の2〜15%を占める状態が続き、イタドリもほぼ同じ被度まで広がっている。イタドリの群落は様々なサイズのパッチ状となっている。

6) イタドリの株が大きくなるにつれて、次にハチジョウススキが、さらに次々と他の植物も定着し、被度・草丈・種類数ともに増大していった。

           

【参考文献】

Tezuka,Y.,(1961) Development of vegetation to soil formation in the 

volcanic island of Oshima,Izu,Japan.Jap.Journ.Bot.17;371-402

吉良竜夫(1961) 原生林保護とその生態的意義.日本生態学会誌.6;102-107

沼田 真編(1977) 群落の遷移その機構.植物生態学講座4.朝倉書店.

市石博(2001) 植生遷移はコケから始まる?−大島の植生遷移から−.遺伝.55(2):10-13.

露崎史朗(2001) 火山遷移初期動態に関する研究.日本生態学会誌.51巻:13-22.

木村進(2002) 遷移についてどのように教えるか.生物教育研究会誌.



2 豊川下流域の氾濫原の植物群落調査

【実習のねらい】

 群落遷移の具体例として、河川の氾濫で形成された沖積地の調査データをもとに、作業を通して遷移の過程で生育している植物の種類がどのように変化していくかを、森林の階層構造と関連づけながら理解させようとした。調査結果1の伊豆大島の例では、遷移にともなう環境条件や生物体量の変化などの量的な変化を主に取り上げたが、ここでは、種組成の変化を中心にして遷移に伴なって、群落を構成している植物の種類がどのように変化していくかを知り、次のような遷移のしくみについても考えさせようとした。

1.遷移の過程で植物の種類組成が変化する。その際、高木層の優占種が目につくが、下層の植物相が先に変化して、それらの種間競争の結果森林に優占種が決まること。

2.遷移の初期の裸地に侵入できるのは、長距離を散布する風散布種子で、その次に進入するのは鳥などが食べて、糞とともに散布させる果実であること。

3.陰樹からなる極相林が成立するまでには、数百年以上の年月が必要であること。

 

【調査結果データについて】
 このデータは、愛知県立安城高等学校(当時)の教員をしておられた倉内一二氏が、愛知県東部の豊川流域と木曽川流域の多くの新田群で行なった群落調査の結果に基づくものである。豊川下流域には幅4〜8kmで奥行きが15kmの沖積地があり、小規模ではあるが、成立年代の異なる50m×50m程度の森林が多数点在している上に、下草の掃除などの手入れもあまりされずに自然に放置されている傾向が強く、遷移の調査に適しているという。

 調査結果は1953年に植物生態学会誌に発表されたものであるが、原論文を参照できなかったので、沼田真編「図説植物生態学」の「第4章 植物群落の遷移」(p.129〜188)として、倉内氏自らが執筆された中に引用されている表を一部削除改変したものを、本実習書に用いた。他の教科書や図説などでは、大きく改ざんされているものを見かけるが、本書ではできるだけ原典に忠実に年代が重複する地点や出現頻度の少ない種類を割愛するに留めている。

【指導上の留意点】

1.作業(1)では、氾濫後の経過年数(1953年−成立年代)を計算し、表中に記入する。

  このとき、群落の成立年が古いものほど、氾濫原ができてからの年数が長く、遷移が進んでいることになる。この群落調査は由来がわかっている神社の社寺林で行なわれたもので、当時は氾濫が生じて上流から運ばれた肥沃な土砂が堆積した場所を、新田として開発してそこに集落が形成されると、必ず神社がつくられ、神社の境内の鎮守の森は保護されてきたため、当時から現在までの遷移の過程がわかるのである。このグラフの横軸は本来は氾濫後の経過年数をとるべきであるが、グラフの書きやすさを考えて、等間隔にしている。

 2.作業(2)は、高木層の3種類の樹木について被度の変化を折れ線グラフで表すという課題である。指示された記号でプロットして、線は実線・破線・点線などに分けたり、色を変えたりするとよい。なお、被度=0の地点についてもすべてプロットすると見にくくなるので、0の最初と最後だけをプロットするのがよいだろう(結果例参照)。

 3.作業(3)は亜高木層と低木層の各樹種の出現時期を表中に記載させようとするものであるが、高木層が発達した時期に、その下層の暗い条件でも生育している種は、陰生植物であることが考えられる。それに対して、高木層がまだ発達していない遷移初期にのみ出現して次第に減少してしまう種は陽生植物である。草本層についても同様である。

 4.この表中の種の多くは大阪府下に成立する照葉樹林の主要構成種であるので、種名を覚えさせる必要はないものの、学校や近くの公園・雑木林などで実物に触れることがましいが、図鑑やインターネットなどで検索して、どんな植物かを見せておくとより理解が深まる。

 5.森林の階層構造や群落調査における被度の測定法については、授業ですでに説明されていることと思うが、まだの場合はここで参考図を用いて説明するとよい。

 6.種子散布型は植物の生活型の一つであるが、教科書ではあまり触れられていない。風散布は文字通り、冠毛のあるタンポポに代表される、風に種子が飛ばされることで遠距離まで散布できる方式である。樹木でもマツやカエデは翼のある種子をもち、風で飛散する。動物散布は刺や粘液などで動物の体に付着したり、果肉があるため鳥などに食われて、糞とともにあちこちに分布を広げることができるものである。それに対し、重力散布はただ落下するだけで特別な散布のための手段を持たない種子をいう。

【結果例】

作業(1) 経過年数の計算


表2

作業(2)高木層の樹種の被度の変遷

図2

作業(3) 亜高木・低木層と、草本層出現種の変遷

図3

【考察例】

クロマツ→タブ→スダジイ、極相 

風散布→動物散布→重力散布

何も植物が生育していない氾濫原に最初に侵入できるのは、より長距離を散布できる

風散布種子である。

クロマツは陽樹なので、照度の低い林床には生育できない。

アカメガシワ・ススキ・チガヤ(初期に出現して後に消失する種)

【参考文献】

倉内一二、1953、沖積平野におけるタブ林の発達、植物生態学会誌、3:121−127

倉内一二、1964、沿海地植生の動態−とくに台風害との関係、大阪市立大学学位論文 

倉内一二、1969、植物群落の遷移、「沼田 真編 図説・植物生態学 第4章(p.129〜188)」、朝倉書店

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