■夢蛤とは
吉良哲明氏(1948年ごろ撮影)
初の本格貝類図鑑「原色日本貝類図鑑」の著者・吉良哲明氏が、1946(昭和21)年から1959(昭和34年)までの14年間にわたり、手書き謄写版で編集・発行した貝類研究誌です。編集・製版・印刷・製本・配本にいたる発刊作業のほとんどが吉良氏ひとりの手で行われました。創刊から終刊まで100号が発刊され、附録もあわせると総ページ数は約4000ページに及びます。
吉良氏は本誌の発刊にあたり、「貝類学雑誌ヴヰナスの経済的打撃による空白を埋めて熱度の高い愛貝家達の熱度の冷却を恐れて之を繋ぎ止める為に発行を思い立った。」と書いており、本誌のタイトルは「題して『由め蛤』と曰う。申す迄もなく貝聖黒田翁が我が国貝類界の先覚開拓者故平瀬與一郎先生に献名された
Chione (Clausinella) hirasei
Kurodaの和名であります。」と説明しています。
夢蛤は藁半紙に謄写版で印刷され、紙紐で綴じて発行された。半世紀を過ぎ、原典は紙質の劣化が著しい。(第60号表紙)
さらに「此の『夢の世界』が無かったら科学は決して発達するものではありません。本誌が此の夢蛤から吐き出される蜃気楼のそれの如き発展を夢見ながら趣味と科学の海を航行する目標と定めた次第です。」と出版の目的を記す一方で、吉良氏はあくまで貝類学のアマチュアリズムを尊重するように夢蛤の編集を行いました。
その結果、夢蛤にはアマチュアからプロに至る数多くの研究者が投稿し、入門者向けの同定法や採集記から、軟体動物学の専門家による論文までが載るという、多彩な誌面がつくり出されました。今日では、夢蛤は終戦直後の学問復興期において貝類学の自由な議論と情報交換の場を創出した媒体として評価されており、単なる同好会誌のレベルにとどまらない研究誌だと言えます。 夢蛤は希望者には無料で配付されました。その結果、創刊初期の発行部数は40部程度だったのが、末期には200部に達していたようです。生物学御研究所を通じて昭和天皇にも献上されていました。
© Osaka Museum of Natural History