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連続講座 第1回 オープニング講演会「新あくあぴあ〜おらが町の博物館を目指して」

遅くなりました。講演会記録をお届けします。

基調講演 / 兵庫県立人と自然の博物館副館長
          ・兵庫県立大学専門職大学院緑環境景観マネジメント研究科科長 中瀬勲
パネルディスカッション / コーディネーター:小柿正武(あくあぴあ芥川事務局長)
                 パネラー:中瀬勲
                 白木江都子(貝塚市立自然遊学館)
                 高田みちよ(あくあぴあ芥川主任学芸員)
日時
2009年4月26日 午後2時〜4時
場所
あくあぴあ3階 多目的ホール
参加者
55名
要約
基調講演:
身近な自然環境の減少により、子どもが自然の原体験をできなくなってきた。それを行うのが地域博物館の役割である。
パネルディスカッション:
  中瀬)子どもの教育として、幼小一貫教育をすべきである。
  白木)生物好きを増やしたい。
  高田)身近な生物の疑問を持ってきてくれるのがうれしい。

田口挨拶 中瀬講演
パネラー 参加者

★講演録 全文★
あいさつ
●特定非営利活動法人大阪自然史センター 千地万造
 このたび、地元NPO法人芥川倶楽部と大阪自然史センターが共同して、芥川緑地資料館の管理・運営を高槻市から受けることになった。この資料館は、高槻市が芥川一帯の整備の一環として公園の1施設として設置されたと聞いている。歴史ある高槻市のなかで文化財行政の大きな蓄積があるが、この施設は高槻市がつくった中ではピカ一の施設である。平成6年にこのような立派な施設を整備されたことに敬意をいだいている。開館以来15年、歴代館長、職員の皆様のご努力で市民の皆様に喜ばれるすばらしい施設運営を図ってこられた。「高槻市、やりよるな!」という気持ちである。
 自分も長い間、60年近く博物館学芸員を続けてきた。若い頃、よく芥川を歩いた。摂津耶馬溪を目当てによく来た。昭和39年のゴールデンウィークに2人の青年が質問に来た。これが有名なマチカネワニの発見の発端である。ワニの50%が揃っており、復元も可能であった。そのわずか2年後に高槻からワニが発掘された。亀岡へ抜ける府道の上の口バス停の後ろの崖から、ワニの歯と脊椎骨が出た。このように自然系の博物館というのは普及啓発活動が大切である。高校生やアマチュアが「これなんだ?」と博物館へ持ち込むことから、大きな発掘につながることが多い。あくあぴあも芥川をユートピアにする施設と思ってもらいたい。あくあぴあの周りの若い人たちをひきつけながら、フィールドに出て活動を続けてもらいたい。やがては大きな力になるだろう。
 このたび、管理運営期間は2年間であるが、この2年間に皆様のご協力を得ながら、充実した施設管理運営に励んでいきたいと思っている

●NPO法人芥川倶楽部代表理事 田口圭介
 自然史センターは「大阪市立自然史博物館」という歴史ある博物館のNPOと、我々地元のNPOとで手を組んで運営していくことになった。
連続講座は5,6回を考えており、人と自然、町づくりと自然を考えている。市民が気軽に「あそこにいったら何かがある」「わからないからあくあぴあに行ってみよう」と情報が集まってくるような場所、我々から情報を発信していく場所にしていきたい。どうすればいいか、今日第1回目として兵庫県立人と自然の博物館副館長の中瀬勲先生を招き、貝塚市立自然遊学館白木江都子さんと、当館主任学芸員高田と一緒に考えていきたい。2年間という短い時間だが、市からは3年目以降も引き続き任せてもらえるような2年間にしていきたい。

●高槻市教育長 一瀬武(代読 地域教育課長 岩村浩一)
 当館は平成6年度に開館した。今日まで、直営、事業委託、指定管理と事業展開の枠組みは変遷したが、(財)公営施設管理公社が実質施設の管理運営をしてきた。この4月から芥川倶楽部と自然史センターがジョイントした「あくあぴあ芥川共同活動体」が指定管理者となり、市民との協働で管理運営を図ることとなり、教育委員会としても期待している。
 市民との協働の活動として、市民に施設を身近に感じてもらえる。NPOの管理は市にとってもはじめてで、利用者に身近に感じてもらえることにより、リピーターが増えることを期待している。
 芥川創生事業に取り組んできた芥川倶楽部が指定管理者の代表になったことで、芥川をとりまく地域の振興、活性化に取り組んでもらえる。芥川の自然環境を知り尽くした芥川倶楽部の取り組みは必ず地域振興につながるものである。早速、中瀬副館長を招いて講演会を開催されることは大いに喜ばしく、これからのあくあぴあと地域の博物館としての施設のあり方について大いに示唆に富む内容になると拝察している。

●基調講演:兵庫県立人と自然の博物館副館長・ 兵庫県立大学専門職大学院緑環境景観マネジメント研究科科長 中瀬勲
内容:地域博物館とは?
「大阪市立自然史博物館」は老舗の博物館であり、「兵庫県立人と自然の博物館」の兄貴分にあたる館で、「あくあぴあ」は大阪自然史に支えられて展開してもらいたい。
 私事だが昭和23年に生まれ、初代高槻市長の自宅横に住んでおり、その後61年間高槻市に住んでいる。昭和43年頃の前島の風景をみてもらいたい。高槻市でも有数の魚とりの場所であった。このような風景が高槻市からなくなっている。画一的な公園ばかりになっている。ふるさとの原風景、里山の風景はどこにいったのか?
 私は子供の頃は畑仕事や山仕事を手伝っていた。その原体験があるおかげで、現在の里山管理などの指導ができている。あくあぴあは子どもの原体験の場になってもらいたい。もう一方ではアカデミックに生物多様性の確保と地域固有種の確保をやってもらいたい。地域に密着した地方の文化や風景がなくなってきたので、ここでとりもどしてもらいたい。日本人は水を治め、治めた水を利用して水田を作ってきた。このような風景はいたるところにあったが、今ではなくなってきている。再び今環境を大事にする時代が来ている。昭和30年代ぐらいの風景を今風にどう創生するか、という時代に来ている。
 自然史博物館の始まりはロンドンの大英博物館、1753年に医師の個人コレクションを英国政府が購入し、1850年にリチャード・オーウェンが整理した。プラントハンターが世界中からコレクションを集めていた。その頃、日本は江戸時代である。二条城の日本庭園は野外博物館である。島津藩からソテツを寄贈させ、日本中から珍しい樹木を集めた。江戸城内のお花畑も庭園博物館である。日本人は自然を愛でる心をDNAにインプリントされている。浮世絵も同じである。日本には博物館思想はないが、博物館そのものは西洋に引けを取らない。
 豊岡市図書館には1730年から50年代の押し葉標本がある。江戸時代はエコミュージアムで、町全体が博物館であった。お互いが自慢しあっていた。ペルーが来たときに、幕府から野鳥を撃つなというおふれが出ていたほどであった。
 ところが、近代における博物館の始まりはどうだろうか。国立科学博物館の前身は東京教育博物館であるが、机、黒板、実験道具、標本、つまりは学校教育として始まっている。1980年から東京師範学校付属となり、活動が終止。明治末期からは科学教育としての疫病への防疫等が役割とない、自然教育とか社会学習というよりは国策に沿っている。1914年国立科学博物館が上野に移り、1940年に調査研究活動を始めた。つまり制度上では歴史が浅い。1944年GHQが「博物館はなく、あっても財政的に活動を行っていない」と言っている。
江戸時代は地域、地域が独自の資料を集めて博物館活動をしていた。しかし明治に入り、中央集権になった。しかし今、再び地方の時代である。あくあぴあはまさにその時代にある。その時代のスポンサーは誰?かつては地方主導の博物館(幕藩、公家、大名、武士)、つまりはお金を持っている人、その次は10年ぐらいまで行政主導して国立、県立など、段階世代の博物館(箱物)。行政、経済界が主導している。現在は市民団体、NPO主導の博物館となってきた。大事なのは、箱物から地域への転換期である。エコミュージアム(地域全体が生きた博物館)という考え方が出て、すべての生業そのものが展示品となってきた。あくあぴあの箱物を中心として地域全体が博物館。市民が主導する地方独自のミュージアムの時代である。これはあくあぴあが目指すまさにそのものである。
 エコミュージアムは環境学習の大切なフィールドである。年間数回のフィールド活動をしろという環境学習の要項がある。保育所、幼稚園の環境学習を目指すべし。最近は中高一貫や小中一貫という考えがあるが、5歳以下を大切にして、幼小一貫をやるべきである。自然系の調査研究だけでなく、市民生活も加えた博物館にしてもらいたい。
 高槻市における課題として、「生物と寄り添って洪水ありきで暮らす」昔の生き様を学ぶ必要がある。方丈記の冒頭にあるように、日本人はその生活を水の流れになぞらえてきた。「洪水の常習地では洪水になってもいいように、高床にしたり、と対策してきた」昔は各家に舟が軒先に吊り下げてあり、洪水が来たら舟で逃げることができたために、洪水が来ても水害にならない仕組みがあった。私の新聞対談から以下を紹介する「自分も昭和30年代に淀川のワンドで魚捕りをしていた。ワンドはいろんな生き物が共存し、水と深く関わりながら暮らしてきた。里山、里川、里地は人が手を加えないと維持できない。昭和40年代ぐらいから手を入れなくなってきたので大変になってきた。70年代以降は琵琶湖総合開発計画で湖岸の堤防が高くなった。そのために魚の産卵地が減少し、魚は少なくなり、それをつかむ子どもも少なくなった。一級河川が国有なり、水の利用は行政が決めるようになり、水が蛇口から出るようになり下水はどこかへ流れていく。水と人とのかかわりが見えなくなってきた。水と深い縁で結ばれてきた日本人の心が変化してきたのかもしれません。「あくあぴあ」はもう一度水と人とを結びつけて、水の始まりと終わりまでを生き物を通じて体験する、そうゆうセンターになってもらいたい。
 地方独自の文化、自然史を創るべきである。中央集権ですべてが東京にいってはいけない。高槻の独自性をあくあぴあが地方の博物館として持ちこたえるべきである。高槻の標本を高槻の博物館が持つ必要がある。画一化から脱却するべきである。現在は日本中どこでも同じような博物館となっている。どうやって特徴を出すか、ということが重要である。なぜ旭山動物園、金沢の近代美術館が有名になったのか、ここにヒントがある。ハード(箱)がいいだけでなく、ソフト(働いている人)が良いからである。両面から画一化より脱出していく。多様性の発掘を、市民、NPOががんばる必要がある。江戸時代の地域を今風に置き換えるにはどうすればいいか、市民、NPO,企業、行政などがフラットな関係で活動すべきである。高槻には芥川沿いにまだたくさんの自然、水のネットワークが残っている。独自の農業、土木文化、水を扱う文化がある。日本有数の農がはぐくむ河川、水のネットワーク都市である。
 高槻市の市歌を高槻市のモットーにしたらどうか?「東真澄める淀の水 西ははるかに妙見の 眺めすがしき北摂に 誇る緑の健康地 沃野の幸の満つところ おお田園の高槻市」。ちょうど昭和30年から40年の頃をよくあらわしている。環境ではどこにもまけない地方中核都市を創ってもらいたい。


●パネルディスカッション
 中瀬、高田(あくあぴあ主任学芸員)、白木(貝塚市立自然遊学館職員)

白木:自然遊学館を3月31日に定年退職したが、今は週1回出勤している。遊学館に勤めたのは50歳の時。農学部を卒業したが、子育ては専業主婦でなければと思い込み、主婦の傍ら、大阪市立自然史博物館友の会の評議員をやり、いろんな行事を手伝った。遊学館は平成5年に市制50周年を記念して出来た二色の浜(一部養浜)に隣接する小さな博物館で、平成6年4月に就職した。その頃、自然史博物館が一番と思っていたので、自然史をまね、自然史で習ったことをやってみた。はじめは、行事を企画しても参加者は親類と友人が殆どの様な状況でスタートした。しかし15年の間にどんどん独自性が出てきた。
 小さな博物館なので悩みは多い。土木部の公園緑地課の一つの部門としてできた。他の館は教育委員会に所属しているが、遊学館は土木部所属なので、不便なところもあったが、自由なところもあった。
 何を基準に自分が活動してきたか、というと、「生き物を追いかけるのが最高!」という考え方に尽きる。家族では行かなくなった海や山に子どもを連れ出し、なんでもない昆虫や植物に興味を持ってもらうことが全て。活動の基本は貝塚市内だけとして、きめ細かく行った。小さな博物館の良さは小回りが利くこと。方針は自分達で決めればいい。無料というのはすばらしいこと。近所の子ども達が遊びに来るし、何でも聞きに来る。
 大阪市立自然史博物館は規模が大きいので羨ましいが、自然史に標本を持ってその名前を聞きに行った人が、「そのビンがよくない」「8月の標本同定会に改めて出直して」と言われて、自然史が嫌いになった、と言っていた。なにげなく来る人たちに親切にし、わからないことは一緒に考えたりできることが、小さな博物館の売りだと思う。質問の答えを考え、調べることで自分の知識は増えた。来館者を繋ぐキーワードは生きものだと思う。

高田:5年間管理公社の非常勤職員で飼育係をしてきた。魚に餌をやっていると子どもが「芥川で捕ったのか」と聞く、「そうだ」というと喜ばれる。お年寄りは芥川にいっぱいいた記憶があるので、「最近いない」とよく言われる。芥川はコンクリートがぴちっとはられているので近づきにくい。実は水はきれいなのがわからないのは川に入っていないからである。「水と離れている」。数年前にゴールデンウィークの後は川が汚いことに気付いた。GW中に洗車する人が多く、その排水は芥川に入り、水を汚す。洗車をしている人たちには、排水がどこにいくのかの感覚がない。
 芥川倶楽部はアユをシンボルにしているので、いずれはアユパーティーをしてアユ食べても減らないぐらい増やすことが目標である。
 博物館標本とは言い換えれば死体収集である。それを遠足に来た子どもはぬいぐるみと思っていて、昔生きていたと言うと嫌がられる。しかし骨格標本なんかは、「食事の時に鳥や魚食べたらホネ残るでしょ」というと納得してくれる。例えば手羽先の標本はスーパーで売っている肉から作れる標本である。テレビでは生き物を見ているが、自分の身近にあるとは思われてない、自宅のカやバッタなんかも身近な生き物であるが実感がない。
 高槻市内でも北部の森林にはシカが大量にいて食害で困っているぐらいなのに、南部に住んでいる市民はシカがいることを驚く。この小さい高槻市でも南と北で交流がない。あくあぴあはちょうど真中にあるので、南の住人をどうやって北に上げるかが、課題と思っている。

中瀬:兵庫県では博物館が大学の研究所の扱いとなっている。大学院教育も手がけている。教育委員会の良いところをうまく使い分けるべきである。教育委員会は独立しているので、意思決定が早い。
 スタッフのよさが必須。博物館標本は乾物である。乾物を飾っても多くの人は喜ばない、それを良いスタッフがインタープリティングすることが重要である。Information & Communicationが必要である。香川県の満濃池に貴重な湿地が見つかった。これを国営公園の担当者が開発しようとしていた。その対策に地元の人が私達の博物館の先生に相談に行き良い対応をしてくれたので、地元の人から私達の博物館が信頼を得た。良いスタッフが対応することで、全員が信頼してもらえる。このように地元といい付き合いをするべきである。
 「風景の良し悪しの差は風景そのものによるよりも、見る人の教養の差による」。見る目のある人をどう育成するか、違いのわかる人材を育てることが重要である。

白木:基調講演の中に5歳以下の子どもの話があったが、小学生になると塾とかで忙しくなって、なかなか来てくれない。最初はそれを嘆いていたが、「3つ子の魂100まで」なので、小さいときに自然に触れ、生きものに接しておくと、大人になって、そういう経験のない子と全然違う、というのを実感する。今の親たちが子どもにそれをしてやらないなら、私達が子どもに「こんなに生きものは面白い」ということを教えてやればいい。小さいときに川、海、山の体験をしっかりしてもらう。「川は水に親しんだ思い出をかきたてる」という言葉はその通りで、自分も街中の子どもだったが、両親があちこちに連れて行ってくれたことを思い出す。
 河合雅夫氏の「少年動物誌」には、生きものを追いかけ、捕まえようとするときの描写が克明に鮮明に描かれていて、自分が体験したドキドキ感が思い出せる。そのときの著者との共有感がすばらしい。小さな博物館は、遊びに来る小さな子どもとも、しっかりつきあうことが大事な仕事だと思う。
 拾って持ってきてくださった生きものの死体は、喜んでいただいている(生きているものは飼えないので、原則お断りしている)。標本にして展示するか、収蔵するか、持って帰ってもらうかは、説明して納得してもらう。「持って行くと、喜んでもらえる。死体は標本として貴重である」というのを周知させる。鳥の剥製などは、死体を拾って届けてくれた人の名前を表示して展示し、感謝の気持ちを表している。こどもも達は拾ってきたら「これは展示してもらえるか」と尋ねるが、何かを見つけて褒めてもらえると大人でも嬉しい。何かを採集したり拾ったりして、博物館に持って行くと喜んでもらえる、褒めてもらえる、という感覚を広めたい。

高田:貧乏だからだけではなく、鳥と哺乳類は法律があるので捕獲はダメ、死体を拾うのが原則。先ほども野球部の子どもが触りたくないなりにスズメの死体を拾ってきてくれた。「どうしよう、そうだ!あくあぴあに持っていこう」と思ってもらえるのがうれしい。館内のショップで飼っているツバメは近所のお宅に飛び込んで骨折したものだが、身近でみれるので、思ったより小さいとか青いとかかわいい、という反応が返ってくるのが嬉しい。
 失敗した経験は、若い男性からの電話で、「川にカワウソがいる、ニホンカワウソがいる」というのでヌートリアだ説明すると、ものすごくがっかりされ、「笑わないで下さい」と言われた。きっと二度と電話してくれないだろう。悪いことをしたと思う。「ムカデとおぼしき生き物を見つけた。見て欲しい」と言われ、持ってきてくれた人もいる。これがジムカデだったので「初めての標本」として液浸にした。「何だろう、わからない、持っていこう」という思いがうれしい。彼らにしっかり対応したら親や友達に話してくれることであくあぴあの位置づけが広がっていくことが更にうれしい。
 生き物だけでなく、資料の修正シール貼りをしてくれたり、一緒にポスターを貼ってくれる子どもがいる。いつ遊びに来ても館の職員が対応してくれる環境が重要かな、と思う。これも教育活動と思い、大いに手伝ってもらっている。

中瀬:川があるんだから、原体験、本物を体験する場にしてもらいたい。梅雨の時に川の水が増える。その時にはナマズやフナが上がってくる。それを捕まえる「アンコウヅケ」というのを作れる人がもういないのではないか。現物の保管はやっていても使用方法の保管はできない。それを体験できるような活動をやってもらいたい。漁具も文献に残っているし、物はあるが、どう使っていいかわからない。そうゆう動態の体験をやってもらいたい。
 高槻市にやってもらいたいのは、小中連携、中高連携はやっているが、幼小連携はまだやっていない。環境学習で兵庫県は始めている。幼稚園から小学校での連携を考えてもらいたい。
 来た子どもの数をどうカウントするかを検討してもらいたい。正確な数字をGETする。近所の小学校の子どもが学校帰りにどのぐらいくるのか。遠くから来る客は一回来ても次は他のところに行く。だから近くの子どもの数を数えるべし。
 小学校の団体が来たら、何回繰り返し来たかを記録しておく。その客観的データを積んでおくことが重要。

白木:自分の15年間の博物館経験から、館長の役割は重要だと思う。博物館への想いもあり、専門知識もあるような館長はなかなか見つからない。
 今年度から、自然遊学館に事務局を置く「自然遊学館わくわくクラブ」という小さなNPO団体の主担当者として、毎週土曜日に出勤しているが、現館長から退職後にそのような嬉しいプレゼントを頂いた。
 小さな館の行方は、役所や館長が博物館の役目を理解してくれているかどうかによって、大きく左右される。

●質問コーナー
Q:南平台に浄水場があったころに引っ越してきた。あくあぴあは箱物の印象があった。組織が変わった経緯を知りたい。
A:(田口)平成16年の高槻環境市民会議の調査で芥川に淀川から上ってきたアユを発見した。同時に高槻市と大阪府が同じような調査でアユを確認した。天然アユが芥川に入ってきている。それを上流まで上らせる川づくりをしたい、と市民も行政も思っていた。それならばと、市民と行政が一体となった芥川倶楽部、ひとと魚にやさしい川づくりネットワークを平成17年7月7日に立ち上げた。生き物にやさしい川づくりとして魚道を作ったり、水辺にやさしい川などを行政と一緒に進めてきた。その中であくあぴあを自然再生の活動拠点にしていきたいと思った。昨年2月に芥川倶楽部の中にネットワークの中核部分を担うNPOを立ち上げた。行政は市の施設を民間委託に、と考えていたのでNPO芥川倶楽部が自然再生をし、市民と一緒にやってきている実績を買われて、指定管理者として指名された。そこで、管理運営、環境教育のノウハウを持っている大阪自然史センターと共同活動体を組織して、指定管理を受けることとなった。

Q:4月から樫田小学校の教員になった。地元では昔は芥川のウナギを食べていたと聞いて、私もウナギを食べたいと思う。三重の河川レンジャーから「あくあぴあはいいところだ」と言われた。高槻にいながら施設の価値を知らなかったので、教えてもらいたい。
A:(高田)以前、三重の方が見学に来られた。「三重県には博物館らしい博物館はない。」と言われていた。実は、奈良県も京都府にもない。総合的な自然史系の博物館がない。北摂でも総合的なところはなく、箕面昆虫館ぐらいしかない。活動している人はいっぱいいるが、建て屋がないと活動しにくい。何かがほしい、という人がいっぱいいて、吹田、寝屋川、枚方、などから、建て屋がほしいという相談は多い。とにかく箱があれば、中身を充実させることはできる。そういう意味ではあくあぴあは非常に重要だと考える。

Q:竹和の会からPR。あくあぴあに隣接する緑地公園の竹林整備のボランティアを月に2回やっている。4月29日に「竹の観察会」をやろうと広報したが参加者が少ないので、みなさん参加してください。

Q:いろんな子ども達が来てくれてるというが、あくあぴあは付近の芥川は子どもが川に入るのに良い場所である。今の子どもは実体験がないので、体験のチャンスを与える必要がある。文科省が教育方針を変更し、総合学習の時間が減ってきている。近所の清水小学校や南平台小学校に働きかけ、体験学習をセッティングしたらどうか。「夏休み親子体験、芥川○○」とか、親と一緒に川に入れば安全管理にもなるし、親にも自然を発見してもらったらどうか。
 いろんな団体が活動できるようなオープンスタイルをとるべきである。自分は河川レンジャーをやっているが、あくあぴあと連携してやっていきたい。いろいろな連携の和を広げていってもらいたい。できる協力はしていきたい。

中瀬:自分は人博の副館長で、スタッフがしっかりしている。
 指定管理は地方自治法の改正に基づいており、日本中全て指定管理の波をかぶっている。
 高槻市教育長の挨拶にもあったが、館が地域活性化にどう寄与するかが期待されている。桜に集まる客をカジカ荘とネットワークするとか、スーパーと連携するとかのネットワークを作る。自然史以外の客をターゲットにする。それを地域活性化に繋げる。
 そして高槻市の姉妹都市の若狭町の博物館とネットワーク組むとか、元民博の小山さんは吹田市立博物館の館長を兼任しているし、「小規模博物館の反乱!」みたいな、ネットワークを組んでフラットなネットワークの博物館組織を作ったらどうか。

田口:あくあぴあが目指したいところは、「市民に利用される博物館」。標本と物が集まってくる場所で、交流できる場所。人も情報も発信していきたい。そのためには、どのような価値があるものかを見分けられる力のあるスタッフを持った組織となる必要がある。人の交流という意味では、地域にはすばらしい市民もおられるので、そのような方の力もかりながら、応援してもらえる組織作りが早急に必要である。
 前に芥川があるので、というのもサポーターの力を借りながらフィールドワークをやりたい。あくあぴあが原体験を子どもにさせてあげたい。小柿さんは森林ボランティアの経験もあるので、川だけでなく、山ともつながりを持ちながら展開していきたい。
 「小さいとこサミット」、小さいとこは小さいとこなりの悩みをもちながら活動している経験の交流のサミットは、この2年間にやって、お互いにレベルアップしていきたい。みなさんの力を借りながらがんばっていきたい。