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連続講座 第2回「郷土が生んだ自然科学者~植物学者・堀田満」

遅くなりました。講演会記録をお届けします。

演者紹介 / 高須 英樹(和歌山大学教育学部 教授)
講演 / 堀田 満(鹿児島大学 名誉教授、西南日本植物情報研究所 代表)
日時
2009年5月11日 午前9時〜11時30分
場所
生涯学習センター 3階研修室
参加者
71名
要約
高須英樹氏から、南方熊楠賞と、堀田満氏の略歴を説明。南方熊楠賞を受賞した堀田満氏本人から鹿児島県の植物相の豊富さ、調査の現状から、自身の植物との出会い、有用植物辞典を手がけたエピソード、メッシュ調査法を用いてタンポポ調査を始めたエピソードなどを講演いただいた。
高須教授
高須教授
参加者
参加者
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田口館長と堀田氏
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堀田氏


★講演録 全文★

●高須英樹(和歌山大学 教授) 講演者紹介
 南方熊楠賞は今年で19回目をむかえ、二十数名が受賞されている。人文系が多いが、自然系では吉良龍夫、日高敏隆、青木淳一、柴岡弘郎、伊藤嘉昭先生などが受賞されている。
 堀田 満先生の研究は1960年のトンガ群島植物相の研究から始まる。高校生のとき、前川文夫博士の植物地理学における歴史的プロセスの重要性を指摘した著書を見て感銘を受け、1974年に日本語で書かれた植物地理学の総説「植物の分布と分化」を出版された。この本を超える日本語版の植物地理学のテキストは今でもない。
 1989年には「世界有用植物辞典」をまとめられた。これは世界の植物と人との関わりを主眼において記述され、「堀田要らず」といわれるぐらいの貴重な辞典である。同時にサトイモ科の研究をマレーシアのボルネオ、スマトラで行い、いくつもの新属を記載、エングラーのサトイモ科の分類体系を改訂するという、重要な業績を残された。
 46年間で300以上の書籍、論文、解説、報告書を出版されている。他に数十本に及ぶ植物のビデオの編集も多い。


●「私と植物たち」  堀田 満(鹿児島大学名誉教授、西南日本植物情報研究所代表)
 紹介された「世界有用植物辞典」は1960年から作り始めて、89年に完成した。約30年もかかってつくりあげたものである。暇な事を考えついたものである。
 1988年に高槻をはなれ、鹿児島大学に移った。それからは九州南部~南西諸島の植物の調査と保護に力をそそいでいる。大阪府に生育する植物は2000種以下で固有種はわずかしかない。ところが鹿児島から奄美諸島の固有種は150種類ぐらいあり、何が分布しているかもまだ良くわかっておらず、保護の必要性が高い。しかも、街中をぶらっと歩くだけでも新種にぶつかることもある。たとえば、20年ほど前に発見されたヤマシロギクの仲間でサツマシロギクと名前がつけられた野ギクは街中にも生育していた新種である。ごく普通種でありながら、気づかれていなかった。セリの仲間は変異が大きく、今まで同種だと思われていた葉の裂けたセリは完全に別種である。便宜的にサケバセリと呼んでいるが、まだ正式に記載されていない。このように、鹿児島にはまだまだ未記載種は多い。ところで、最近頭に来ているのは、環境省である。日本で一番最初に国立公園になったのは霧島である。そこのえびの高原に生育するノカイドウの個体数が減少しているのを、環境省はシカの影響であるといっているが、実際には環境省がビジターセンターを作り、道路を作り、広大な駐車場を作り、環境が変えてしまったせいである。路傍にはセイヨウタンポポが侵入している。このセンター建設の前後のビデオを撮影しているので、「霧島の20年、迫害されたノカイドウ」のビデオを作製することが出来る。鹿児島湾の入口にある知林ヶ島は貴重な自然植生と海の生物が残っており、「なるべく触れるな」という提言を提出したにもかかわらず、ダンプが並んで走れるような幅10m以上の遊歩道をユンボを入れて造成した。この予算は環境省から出ている。残念ながら、鹿児島大学から提出した学術報告書は見ていないようである。この遊歩道工事の前後でもビデオを撮っているので、同じように告発ビデオを作製したい。このように植物・分化・保護を20年間やってきた、問題の多い地域である。
 南方熊楠賞は突然連絡が入った。他の受賞者はもっとすごい人たちだし、まさか自分がもらえるとは思っていなかった。私は芥川の門前橋近くの小作百姓の家に生まれた。そのままなら農民になっていたはずだが、農地改革があって小作も土地を持てたので、その土地を売って大学に行けた。そのころ前川文夫氏の植物地理学の本に出会った。本というものは高価なもので、昼飯を抜いて本代を捻出した。その経験があったため、「世界有用植物辞典」は出来るだけ安価にするように努力した。「堀田要らず」と言われるのは、堀田に聞くと必ず文句のひとつやふたつを言われるので、堀田に聞かなくてもいいという意味もあるらしい。(笑)
 私の中学生のころは週2日が休みだったので、1日は農作業を手伝い、もう1日で高槻の山を歩き回った。ポンポン山のカタクリはそのころ見つけた。杉林が切られて出来た明るい場所に生育する群落で、いまでもあるという。マンサクも同じころに見つけた。そのころに市の植物目録を作った。ガリ版刷りで120種ほどのシダ植物の目録である。原のクモノスシダ、本山寺のオニイノデも出ている。雨の日も「砂糖じゃないから溶けない」といいながら、歩き回った。
 最初に海外調査を行ったのは1960年の南太平洋のトンガ群島で隊員は7名だった。その時に思い立って「世界有用植物辞典」の基礎データーを集めはじめた。しかし本を実際に作り始めるのには、なかなか時間がかかった。有用植物のデータはカードにすると30万枚になり、現在PDF化して70GBになっている。このような研究が著者が生きている間に出版されることは、実に珍しい。ほとんどの場合は、著者が死んでから出版されることが多い。世界有用植物辞典の場合は平凡社の全面的な協力と300名に及ぶ著者達の協力によって完成することが出来た。
 地域の自然について、関西では昔は自然保護に関係した会がアセス的な調査をよくやっていた。その調査の活動資金に役所からの委託を受ける必要があり、委託をとるためには法人格が必要である。そうゆう経緯で初めて法人格を取得したのが兵庫県自然保護協会であった。この会で生物指標を用いて自然環境についてのアンケートを調査したが、集まったデータが大量で煩雑であったため、なんとかしてほしいと言われて考えたのがメッシュ法であった。この手法は現在でも利用されている。
 衛星(アース)のデータを取得しての解析も行った。このときに困ったのは、山の影が真っ黒になって実状が見えないことで、ネガを重ねて影をけすなど、苦労した。これを京大の学生実験室で壁に貼った何枚もの印画紙に大きく焼いて、関西の自然度をメッシュデータとして解析した。これは大阪市立自然史博物館でしばらく展示していた。
 タンポポ調査も関西で始めた調査である。これはどの地方でもうまくいくものではない。たとえば鹿児島ではツクシタンポポはあるが分布数は非常に少なく、タンポポといえば白花(それほど普通ではない)が見られるが、カンサイタンポポのような普通種がない。関西でタンポポ調査を始めたのは、神戸から京都に移ったときに、セイヨウタンポポ、カンサイタンポポ、シロバナタンポポが京大構内で意味ありげに生えているのを見たからで、最近の開発地はセイヨウタンポポ、三高時代の古い地域にはカンサイタンポポという傾向がはっきりしていて、確実にすみ分けていた。カンサイタンポポは自家不和合だが、セイヨウタンポポは受粉なしで種子ができる。このためセイヨウタンポポが都市にどんどん侵入していくのがよくわかる。大阪で面白い結果が出たので滋賀でもやってみたが、セイヨウタンポポが当時はまだほとんど侵入していなかった(2ヶ所だけ)。20年後に再調査されてみると、滋賀県でもセイヨウタンポポがずいぶんと増えていた。調査そのものも面白いが、調査者の反応も面白く、春に咲く黄色い花はすべてタンポポと思っている人がいるようである。ジシバリやノゲシときにはウマノアシガタまで持ってくる人がいた。タンポポマニアも出てきて、全国的な研究会ができたり、タンポポ通信ができたり、タンポポで博士号をとった研究者もいる。
 鹿児島へ行ってからは絶滅危惧種の調査と保護を中心にやっている。RDB(レッドデータブック)は九州では長崎と鹿児島が出来上がらずに残り、そして鹿児島が最後まで残った。この2県のみが九州では環境省から出向している職員が自然保護を担当しているのに、そこがどんじりになってしまった。鹿児島県のRDBは動物と植物が分冊になっている非常に分厚い。5年たったからそろそろ改訂しなければならない。

 参加者からの質問と回答
Q.新種判断の基準は?
A.分類屋の主観である。誰にも支持されなければ消えていく。形が決め手で分類されるが、形が違うと別種かというと必ずしもそうではなく、生きている実態がわからなければ分類できない。最近はDNA解析がはやりだが、機器が安くはなったといっても高価だし大量のデータを処理できないという問題はある。

Q.自然史博物館がうつぼ公園にあったころに、初夏にアサギマダラがコアジサイの花に多数集まっているという投稿をしてもらったことがあるが、秋ではなく初夏に集まるというのは珍しい現象と思うので、記憶にあれば詳細が聞きたい。
A.神峰山寺から本山寺に行く途中にはアサギマダラの食草になるガガイモ科植物もあるので、集まっていたのかも。しかし、詳細は覚えていない。

Q.地球温暖化と植物の移動についてききたい。
A.分布圏は変わっていくとは思うが時間はかかる。気候変動についていけない植物はあるだろう。寒冷化よりも温暖化のほうが植物としては対応しやすい。しかし今のペースで気候が変動すると問題だし、農業生産はどうなるかわからない。鹿児島では今年のツツジの花付が悪い。ツツジは夏に花芽が分化するから、昨年夏が高温で乾燥していたということが原因かもしれない。気候の変化が思いがけないところに影響を及ぼす可能性はある。

Q.鹿児島で固有種が多いのは地理的な影響なのか、研究が遅れているのか。
A.研究が遅れている訳ではない。鹿児島は「吹き溜まり」で、北、南からいろいろな種が集まっている。県別RDBでも、他の県にない「分布上重要」というカテゴリーを作ってある。例えば、霧島にはアカマツが普通にあるが屋久島には数本しかない。そして,そこが分布の南限である。鹿児島県のRDBに絶滅危惧植物が2000種ぐらいあがっているのは分布の端のものを入れてあるからだが、他県に同じカテゴリーを作っても鹿児島ほどには該当種はない。アカマツ、クロマツ等、他県では普通であるが、分布の限界地域では稀少種となる。地域の特徴をとらえることが重要である。鹿児島大学には100年間のコレクションがあり、特に戦後は丁寧に採集されているので、戦前に標本があって戦後にないものは絶滅したということができる。たとえばムラサキは江戸時代には鹿児島が一大産地であったが、戦後の標本はない。

●田口館長 挨拶
  「高槻の街も人も変わった」といわれていたたが、堀田先生の小学生のころと今がどう変わったのか、また一緒に高槻の山や街を歩いて教えてもらいたいと思います。本日はありがとうございました。