芥川・淀川連続講座 第3回「人と川-これからの芥川と淀川-」
第2回講座で、今後どのような芥川を目指すべきかをみなさんと一緒に意見交換しました。第3回講座では、人と川のかかわりから考えました。
総合司会 / 山﨑文男(芥川倶楽部)
挨拶 / 田口圭介(芥川倶楽部代表) 石井克尚(高槻市副市長) 基調講演 / 河合典彦(環境省希少野生動植物種保存推進員、淀川環境委員会委員) パネラー / 河合典彦(同上) 小俣篤(国土交通省淀川河川事務所長) 川上隆(芥川倶楽部) 樋口祖照(高槻フットボールクラブ監督) 中島敏明(淀川管内河川レンジャー)
挨拶 / 田口圭介(芥川倶楽部代表) 石井克尚(高槻市副市長) 基調講演 / 河合典彦(環境省希少野生動植物種保存推進員、淀川環境委員会委員) パネラー / 河合典彦(同上) 小俣篤(国土交通省淀川河川事務所長) 川上隆(芥川倶楽部) 樋口祖照(高槻フットボールクラブ監督) 中島敏明(淀川管内河川レンジャー)
日時
2009年6月19日(金) 午後6時〜8時
場所
高槻市生涯学習センター 3階研修室
参加者
約70名
その他
主催 淀川管内河川レンジャー 中島敏明
共催 芥川倶楽部、あくあぴあ芥川
支援 国土交通省淀川河川事務所
協力 たかつき環境市民会議
後援 大阪府茨木土木事務所、高槻市
共催 芥川倶楽部、あくあぴあ芥川
支援 国土交通省淀川河川事務所
協力 たかつき環境市民会議
後援 大阪府茨木土木事務所、高槻市
要旨
河合氏の淀川と40年関わり続けた経験から、淀川の環境、変遷、子どもの自然体験の必要性について講演の後、小俣氏から川づくりの方向性と技術的な話、樋口氏からは自らのサッカークラブでの子どもとの付き合い方、川上氏からは芥川倶楽部の発足のエピソードと自らの自然体験についての話がありました。会場からも、どうすれば子どもに川体験をさせることができるか、という質問が多く発せられました。
★講演録 全文★
田口挨拶)
水が流れるところが川ではなく、人とかかわりがあってこそ川である。里山は人と関わって環境が維持されている。人と関わる里川とはどんな関わり方、考え方があるかを意見交換し、芥川を守っていくヒントがあれば、と思う。
石井挨拶)
いろんな場で多くの人が芥川について考えることがすばらしい。最近自分は芥川から離れているので、話を聞きながら一緒に考えていきたい。例えば、津之江公園では自然再生化の取組を行っているが、現在まだ川と繋がっていないにもかかわらず、すでにミズヒマワリが繁殖し始めている。みんなで協力して駆除していこう。
基調講演 河合)
今年で淀川に通って40年になる。淀川にはいろんな思い出がある。今は朝起きて、まず淀川を眺める。毎日淀川を見て過ごしている。子どもの頃は淀川まで1時間ぐらいのところに住んでいて、親戚がいるので遊びに来ていた。淀川の近くに引っ越すことがその頃からの夢で、夢がかなったのが25年前。しかし、ちょうどこの頃から淀川の環境は悪くなりはじめた。
淀川には固有種が多い。かつて日本でいちばん淡水魚の種類が多い川であり、国の天然記念物のイタセンパラ、アユモドキも生息していたが、今では見られなくなった。今年もイタセンパラの仔稚魚調査ではゼロだった。かつて城北ワンドは全国一の生息地だったが、2005年での確認を最後に見られなくなった。もちろん、2005年以前も1980年代半ばから低レベルの個体数で推移しており、良好とは言えなかった。特に、この3~4年頃前からイタセンパラがみられなくなったと同時に、他の多くの在来魚も急速にみられなくなった。
1968年の守口市付近の航空写真を見ると、本流が蛇行して、砂州が広がり、その中に小さな水溜りがいっぱいあった。私はこのような淀川の環境の中で魚捕りに呆けた。この少し後の時代は中・高生ぐらいで、投網を投げるとイタセンパラがたくさん捕れた。淀川にたくさんあったワンドやタマリは全国に例のない、舟運の航路確保のために設置された多数の水制工がきっかけになって形成された水環境である。昔はワンドに行くとイタセンパラやシロヒレタビラなどのタナゴ類やモロコ類などたくさんの種類の在来魚が見られたが、今は見られる魚影のほとんどはブルーギルとブラックバスである。淀川には特定外来生物(魚類)としてこの2種とカダヤシが見られる。それ以外の外来種としてカムルチー(雷魚)などが昔からいるが、実は、これによる食害などの被害があまり大きくなかったことが、その後の外来魚の移入に対する油断を招いたと思われる。カムルチーはアジアで進化した魚なので、日本の在来種とはもともと共存の歴史があったと考えられる。しかし、ブルーギルやブラックバスは北米で進化を遂げた魚なので日本の在来種とは共存の歴史がなく、日本の在来種には彼らからの捕食圧などから逃れる術が遺伝子にプログラムされていなかった、そのことが激甚な被害を招く結果となった、という考え方がある。
2006年の調査でワンドの水を抜いてみると9割以上(個体数)の魚が外来種で、在来種は非常に少なく、また、そのとき捕れたフナは全て成魚であった。つまり、稚魚や幼魚は食われてしまっているということ。魚以外では、カメはほとんどがアカミミガメで、スクミリンゴガイやウシガエル、ヌートリアもいる。1980年代半ば頃までのワンドの水辺の多くは浅い砂地だったが、現在は外来植物であるナガエツルノゲイトウやアゾラ、ミズヒマワリ、ホテイアオイ、ボタンウキクサなどに覆われてしまっている。本流の水辺も外来水生植物がはびこっている。昨年、大阪市立自然史博物館友の会が主催する行事で外来種を食べる機会があったが、美味しく食べることができるものも多かった。
芥川ではミズヒマワリと川の魚を紹介する看板がある。この川の看板のブルーギルとブラックバスを別枠にしてもらいたい。芥川に本来生息すべき魚ではないからだ。芥川にはムギツクやドンコなど多くの在来種が普通に見られる。これらの多くはすでに淀川で見られなくなった魚だ。もし淀川の環境がよくなったら、芥川は貴重な供給源として淀川の在来種が復活する可能性が残されている。残念ながら、さまざまな問題を引き起こすことで特定外来生物に指定された約100種類のうち、18種類以上が淀川で確認されている。以前、中学校の教科書に外来種のことを書く機会があったが、発展学習の扱いである。発展学習に扱われている内容については、それを教える、教えないは教師の判断に委ねられるということ。しかし、平成24年から全面実施される学習指導要領では、外来種を教えることが明示されているので、すべての中学生が外来種について習うことになる。長期的にみて、外来種問題の解消には発達段階の早期からの教育が非常に大切である。
淀川の環境の劣化は、1970年代~1980年代にかけて川の構造が大きく変わったことに大きな原因がある。以前の人々は、堤防間は川の中という意識だったが、公園等が整備された現在の高水敷は冠水する機会がほとんどないため、高水敷も川の中であるという意識がなくなっているように思われる。淀川の中下流部に多くの外来種の猛繁殖を許しているのは、流れが弱く、水位が安定した環境になったことに起因している。本来、川は増水すると本流があふれて河道内(堤防間)を冠水させ、さまざまな頻度や強度の水の流れによって撹乱されることで川らしい環境が形成され、そして維持される魅力ある独特の環境である。水があっても、流れるという要素がなくなると、川らしい環境は忽ち失われてしまい、そこに息づいていた多様な生きものの多くはいなくなってしまう。
今、水位の変動のある上流部でワンドが整備されている。一方、下流で整備された浅いワンドでは、フナやコイが盛んに産卵をしたり、汽水域で整備された人工干潟でもさまざまな生きものの生息場所として機能し始めている。
かつて新淀川と呼ばれた下流区間10kmは今年で開削100年を迎える人工河川である。多くのヤマトシジミ、クロベンケイガニなどが捕れ、ヤマトオサガニやハクセンシオマネキも生息している。浅い水辺では子どもたちが泥だらけになって水遊びに興じたり、真剣に貝堀りや魚捕りするという姿もみられる。下流は人為でコントロールできない潮汐の影響を大きく受けているから、良い環境が成立・維持されている。
子どもがドロドロになって遊び、生き物と戯れるという原体験は非常に大事である。自然体験が豊かな子どもは道徳感に優れ、正義感が強く、さらに、自然体験したあとは勉強のやる気が出る子どもが増えることがデータで示されている。豊かな自然体験が子どもの成長・発達にさまざまな好ましい影響を与えることは明らかである。
1960年頃までは淀川の合流点近くの木津川(八幡)に水泳場があった。その後、淀川の水質は非常に汚濁が進んだ時代があったが、最近はだいぶ良くなっていると言われる。しかし、泳ぐにはまだまだ水質に抵抗を感じる。ゴミ問題は現在も非常に深刻で、以前、二枚貝の調査中にワンドの底の泥に埋もれていた19年前の製造年月日の入ったパンの袋を拾った。19年経ってもまったく変化していない。腐らないゴミの見本として大事に持ち帰り、理科の授業でも使っている。ゴミについては、特に例年、盆明けの淀川の水辺には精霊流しがどっさり水辺に漂着して目を覆いたくなる状況が発生する。
淀川の中下流部の水辺環境もまだまだ良いところも多いが、実は大和川のほうがたくさんの砂州があってずっと川らしい。水都再生で話題の大川は、直立護岸の連続で淀川にみられるような浅い水辺がまったくない。水都再生に自然再生の視点もぜひ入れてもらいたい。今年3月に策定された淀川水系河川整備計画をみると、「多様な生態系を有する淀川水系の再生と次世代への継承」と明記されている。少年時代に素晴らしい淀川の生態系を体感し、大きな感動を得た一人として、ぜひこの文言を生かした河川整備がなされること期待している。
小俣)
今日は川の技術者として次世代に残せる川づくりのためのヒントを話したい。いい川とは?協働とは?
昔は生活と共に川があった。川で洗濯したり、野菜を洗ったり。どこかでそうゆう川との付き合いが切り離されてしまった。いい川を考える前に川を知ることが大切。例えば、淀川では1703年の地図を見ると大和川は淀川に流入していた。戦国時代が終わり、世の中が安定してくると川を治める工事が行われてきた。130年前の日本の小さな川ですが、現在の田舎の川と変わらない風景であったようだ。
川の魅力は人それぞれで、いい川とは人によって違う。いい川にするにはどうすればいい?例えば、名古屋の堀川は元々お城の堀でしたが、一時期はドブになり、これではいかんと人を近づけるために遊歩道を作った。川に人が集うようになったら、裏のドブから表の憩いの場になった。
川は川であり、水が土を削り運んでというように自然が作ってきたというベースがある。水路になってしまった川をいい川にしようと試みがあるが、どんな川がいい川かという概念がずれると、どんなにがんばってもいい川にはならない。多自然川づくりという国土交通省のプロジェクトがある。例えば、北海道の茂魚川は、川幅を広げて法面を覆土したところ、北海道の市街地らしい川になった。技術と目標がずれなければ、それなりにいい川になる。地域の自然、歴史、文化も考えに入れ、河川管理も考える必要がある。工事の後にどんどん変化していくので、5年、10年後によくなる川を作らなければならない。平成18年に策定された多自然川づくりの基本方針はすばらしいものだが、実際にどうするのかは現場に任される。「多自然型川づくり」は平成のはじめのころに開始されたが、20年かかってもたいした成果があがっていない。現場の人間全員がちゃんと考えて実施するのは難しく、どこかのいい事例をまねしたら現地にそぐわずに失敗することも多かった。例えば護岸を1:2の緩傾斜にすると人は川に近づきやすいが水の流れている幅は狭くなる。それを1:0.5の急傾斜にすると人は川に近づけないが、川は自由に流れ、洲が出来、いい川になった。ただし遊んでいて急に雨が降ると、容易には出られないという危険がある。
いい川をめざすには「本来の川」を見つめ直すことが重要。まず、その川がどうゆう川であるかをよく学ぶ。次にどうゆう川にしたいかイメージを固める。ここまでは行政だけではできないので、地元住民と行うのがよい。それから実際の技術的な川づくりを行政とともに考え、具体化していく。完成してからも市民と行政が協働で維持していく。
芥川には熱い思いの人がいるが、淀川には実はあまりいない。大きな川では市民ができることが少なく、活動しても成果が見えにくく、とっつきにくい。大河川と大都市をつなぐのが河川レンジャーの役割である。
会場から)
Q.桂川では「川で遊ぶな」という看板があるが淀川では?
A.(河合)淀川には「あぶない」という看板があるぐらい。子供の頃、地域の巡視の人によくしかられた。当時は下流でも流れがはやく、本流は危なかったが、ワンドやたまりは流れていないので子どもでも行けた。地元では今でも「一人では行かない」という指導はしている。最近では水の危なさよりも、変質者などのほうが恐い。
A.(石井)子供の頃に芥川で泳いだことはない。ちょうどそのころに排水路に柵が出来て入れなくなった。
Q.多自然型の「型」のあるなしはどうちがうのか?
A .(小俣)自分の見解では「型にはまった川づくり」をしないため、と思っている。ものまねにならないよう、その場に即したものを考えることが大事。
樋口)
昭和43年に高槻に引っ越してきて、サッカークラブを作った。当時の高槻市は人口が少なく田畑が多く、芥川の上流で泳いだり、魚を放流する行事に参加もしていた。スポーツだけにのめりこんではいけない、と思っていた。日本語は自然や地形や動物の名前が入っているのに、子どもには通じなくなっている。今流の言葉しか通じない。スポーツから自然に近づき、自然もスポーツに取り込もうと思っている。
始めは小学校の校庭で勝手に活動していた。その後、クリタ工場の跡地に移ったが、国体でスポーツ施設を作るというので西面のグラウンドに行かされた。スポーツセンターでは芝の養生のため週2回しかできない。芥川の河川敷がだだっ広い広場だったので利用していたが、これも国体で整備され、狭くなった。今回は自然公園にするので立ち退きになり、どんどん活動の場がなくなってきている。昔の子どもはよく神社で遊んでいた。それができなくなり、広場がなくなり、学校が自由に使えなくなり子どもの遊び場がなくなってきた。管理された学校などの場と、子どもが自由に遊ぶ場は違う。
自然あっての人間であり、人間あっての自然である。我々が非寛容になってきている。病気に対しての滅菌とか、害虫の駆除とか、行き過ぎている。自然は相互にバランスがとれているので、悪いからといって絶滅させる感覚はどうかと思う。もっと寛容になってもらいたい。
川上)
平成16、17年に大阪府茨木土木事務所で企画グループ長をしていた。当時、大阪府は地域の魅力・顔プロジェクトを進めていて事業の候補地を探していたところ、淀川にはアユが数十万匹上っていると聞き、芥川の川づくりに取り組み始めた。平成18年以降は一市民一ボランティアとして活動している。
平成16年9月に、本当にアユが遡上しているのか、紀平先生、綾先生、横山先生に芥川に入って調べてもらった。その日は午前中の大雨で増水していたが紀平先生の「淀川では腰に縄をつけてでも入って調査している」の一言で実施することに。綾先生がアユを捕り遡上が確認された。アユ以上に驚いたのが、投網が持ち上がらないほど大量のボラやコイが入ったこと。雨で淀川本流が増水し芥川へ避難した魚が堰で行き止まりになってたまっていたからで、大堰のせいで魚が遡上できないということを実感した。
芥川大堰を管轄する国土交通省に魚道設置を要望したがすぐには難しいということなので、平成18年4月に土のうを積んで魚みちを作った。2000体ぐらいを市民みんなで積んだ。雨ですぐに流れたので、翌週に積みなおした。結果、13種35匹の魚、カニが遡上した。大阪湾から淀川を通り、芥川まできた魚が、芥川大堰で止まっている。しかし、思いのある人が動けば魚の遡上が可能になる。「目標を共有し、同じ目線で取り組む」がキーワードと思った。
この4月から芥川倶楽部はあくあぴあの指定管理者として運営を行っている。そのなかで、5,6月に植物調査に同行した。私にとっての芥川は自然がいっぱいで、カワセミやオオヨシキリ、コチドリなどの鳥類、ヒメボタルを見ることができたし、カジカガエルが泳ぐのも初めて見た。植物は4日間で450種も確認した。6年前までは生き物の名前をほとんど知らなかったが今は自然体験にはまっている。自分の世代、今の親世代は子供のころにあまり自然体験をしていなくて生き物のことをよく知らないから、川との触れ合いを子どもたちに伝えることが難しい。親世代も芥川の自然を実感できる仕掛けも大切と思う。
会場から)
Q.子どもを自然で遊ばせることを理念に活動している団体を運営している。最近は、遊ばせる場所がないし、遊ぶ方法をリーダーとなる親が知らない。「あぶないことをさせない」体制になっている。あぶないから始まり、すべて否定から始まる教育になっている。反対に危ない経験をさせることで、何が危ないのかを子どもに知らせる必要がある。教えてないから自分で自分の身を守れないと思う。
Q.神戸市の新湊川は三面コンクリート護岸だが、自然回復活動を行っている。定時制高校の生徒がリーダーとなり、子どもと一緒に布団籠を入れての植物の育成などを行っている。子どもは作ることには熱心ではないが、魚を取るのは楽しんでいる。しかし子どもは入れ代わるので、なかなか定着しない。子ども会のような地元の子どもが楽しみながら作っていくような方法を考えたいが、どうすればいいのか、事例があれば紹介いただきたい。
A.(わくわく探検隊杉本)原を拠点として小学校3~6年で自然体験を行っている。昨年開始して、今年は農水省のモデル事業になっている。原は都市に近いのに里山の風景と川という要素が整っている。単なる農業体験だけはなく、高槻のスペシャリストに支えられての自然体験プログラムを実施している。原大橋で川遊びをしたとき、子ども達は初めて川に入るといい、今までにない笑顔を見せた。勝手に飛び込みスペースを見つけてはしゃいだり、魚や虫を見つけて楽しんでいた。「芥川で泳げるとは知らなかった」と口々に言っていた。今年は70名の子どもと田植えを行った。子どもは自然に触れることがないので、泥の感触を楽しんでいた。こうゆう活動をしていることを知ってもらいたい。
Q.芥川に大きな木の茂っているところがある。枝払いはしているが、ビニールなどの大きなゴミがひっかかっているのが気になる。根から掘り取ってもらいたい。津之江公園に自然再生をしているが、有料でも釣堀にしてもらいたい。そうすれば、自分達年寄りはもっと長時間遊べる。
Q.仕事で芥川や田んぼへ行き、初めて自然体験をしている。同年代の親たちは自然体験をしていないことにコンプレックスがあるのではないだろうか?子どもが小さいときには自然や安全を親自身が知る必要があると思う。子どもを餌に親を連れ出すことが必要ではないか。
Q.芥川へ子どもを入れるには、護岸が急傾斜すぎる。芥川大橋よりも下流は特に入るところがない。川で子どもが遊んで撹乱してくれることが大切ではないか?鷺打橋よりも下流は特にヘドロがあり、子どもを入れて河床を撹乱してもらいたい。国土交通省の多自然川づくりは芥川に関しては方針があるのか?子どもが入れる川を作ってもらいたい。
Q.小~中学校では淀川に遊びに行っていた。そのころは自然が残っていた。どうゆう川がいい川かというと、水がきれいで自然が残っている川が良い川である。自然を守ってしかも安全な川を後世に残すことが大切であり、それをどうつなげていくかが課題である。遊歩道の考え方はとてもいい。川へ降りられる環境も作ってもらいたい。
Q.(久保)
川西の子どもたちで、キャンプファイヤーに遊びに行ったり、魚の名前を覚えたり、知恵のいるゲームをよく行った。魚づかみ大会を何度も行っている。今年も1000匹ぐらいのアユを川辺にシートを張って放流し、魚づかみ大会を7月の行う。子どもの喜んでいる姿が見たい。
A.(河合)子どもを川で自由に遊ばせたい。行事はもちろん必要だが、自分で勝手に行って遊ぶことが理想。自分が子どもの頃は、それが許される時代だった。そうでなければ40年も淀川に通うことはなかったかもしれない。感受性の鋭い子供の頃の体験は、大人になってからのものとは違う。命を失ったり後遺症の残るような事故はもちろん避けなければならないが、治る程度の怪我であれば、目くじら立てなくてもいいと思う。手を切って痛ければ、次はどうすれば切らずにすむかを考えるし、小さな怪我が大きな怪我を防ぐと思う。安全志向が高すぎて、体験させないことのマイナス面を考えることも重要。 現在の河川行政に携る方は、まだ子どもの頃に川で遊ぶ体験をしている方が多いと思う。しかし、次の世代に代替わりすると、川の楽しさを知らない世代が河川行政に携るようになる。そうなったら、どういうことになるのかが危惧される。
A.(小俣)中島レンジャーの資料に「川は疲れてる」とあるが、国土交通省の役人はもっと疲れている。役人だっていい仕事をしたい、特に土木はものを作るので、いい仕事をして褒められたいが、今は苦情を言われるほうが多い。地域みんなの声で、子どもが川に入れる雰囲気を作る「地域力」が必要である。子どもは大きくなって入れ代わっていくが、地域が元気であれば、新しく子どもが育っていく波は続いていく。あきらめずに続けていくことが重要である。また、川と子どもの好きなエネルギーのある大人がリーダーとなってほしい。
淀川河川事務所として、現在は芥川をどうしたい、というような具体の思いは今はない。魚道は提案があったから作る。さっきの提案のように、今下流に降りられる階段をつけたら、恐らく反対されるので、この会場のみなさんで地域力を上げて階段を付けられるようにしてもらいたい。「地域力」と「あきらめない」の2つがキーワードである。
中島まとめ)
主人公は市民みんなであり、行政だけではできない。芥川も淀川もつながらなければならない。今日を一つの出発点としてやっていきたい。