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芥川・淀川連続講座 第4回「災害は忘れた頃にやって来る!~芥川の治水・利水・そして環境~」

新型インフルエンザで延期になった第2回目に予定されていた講座です。
★講演録 全文を掲載しました。

総合司会 / 山﨑文男(芥川倶楽部)
パネラー / 河田安弘管理官(国土交通省淀川河川事務所)
         藤本哲河川砂防グループ長(大阪府茨木土木事務所)
         太田晴巳氏(西野水利組合組合長)
         古藤幸雄氏(大字服部財産区管理会会長)
日時
2009年9月12日(金) 午後2時〜4時20分
場所
高槻市生涯学習センター 3階研修室
参加者
約50名
その他
主催 淀川管内河川レンジャー 中島敏明
共催 芥川倶楽部、あくあぴあ芥川
支援 国土交通省淀川河川事務所
協力 たかつき環境市民会議
後援 大阪府茨木土木事務所、高槻市
要旨
河田氏から淀川と芥川の過去の災害事例と国土交通省の防災の取り組み、藤本氏から大阪府の防災の取り組みの説明があった後、 太田氏から芥川の水の利用について、古藤氏から芥川の昔と今の比較の話をいただきました。古い洪水の写真などは災害の恐ろしさを鮮明に記録していました。これまでの講座が、治水と利水と環境とをどううまくつなげるかを考えるヒントになることを期待して、4回の講座を終了しました。
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★講演録 全文★

主催者挨拶
中島)今まで3回、さまざまな視点から講座を行ってきました。今回が最終回です。台風9号で佐用町は大変な被災を受けられたが、佐用町の方は自分たちがこんな目にあうとは思っておられなかった。初心に帰って治水を考えたいと思う。
田口)治水のテーマは本来2回目の予定だったが、諸事情で4回目になった。堤防が切れて洪水になる水害もあり、局地豪雨という水害もあり、最近ではニュースになっている。川で水が多いのは脅威だが、川で生き物を見ている人間からすると、多すぎるのも困るがなさすぎるのも困る。川は水が流れてこそ川なので、水をどうコントロールするか、水利組合の方や治水に携わっている方、芥川のそばで川を見続けている方がこられている。生き物にやさしい、よりよい芥川を作るために、いろいろな立場の方のお話を聞きたい。

パネルディスカッション
河田)生まれは京都の大江町という由良川が流れ込む町。由良川は堤防もない原始河川で、しょっちゅう水害が起こっていた。高校のころは水害が起こると学校が休みになり、よかったのですが、今は、そのようなことがないように河川を整備する仕事をしています。
大阪湾からみた淀川の図で、琵琶湖、桂川、宇治川、木津川が見られる。特徴としては、桂川であれば保津峡という狭窄部がある、宇治川では鹿飛(シシトビ)渓谷という狭窄部がある。木津川では岩倉峡がある。どれも自然のダムのような狭窄があるところが特徴である。ランドサットからみた淀川。まっすぐな河川で、三川合流まで36kmあり川幅が広い。枚方大橋でも700mぐらいある。河川縦断図では大阪府の天守閣の高さは琵琶湖の底ぐらいになる。天ケ瀬ダムも同様。河口は河床勾配がゆるやかで、宇治の平等院よりも上流では傾斜が急になる。海外と比較すると、非常にゆるやかで、途中で河床勾配が急になる。それに比べると日本の川は急勾配な河川である。普段でも川の水は雨は1泊2日で海にでるといわれるように、洪水になりやすい河川である。テムズ川は町の低いところを流れているので、あふれても町の一部がつかる程度。一方淀川、大和川では町よりも高いところを流れている。最大流量と最少流量の差を比較すると、日本の河川は差が大きく、外国の河川よりも日本の河川はすぐに洪水になり、洪水になってもすぐに水が引くということが特徴である。過去の淀川の氾濫実績では、明治18年、大正6年、昭和28年の破堤の出水状況の図がある。大正6年の図では高槻の1階部分の屋根下まで水がきて船で避難している写真。昔は、大江町では川に近い家は軒に船を吊るしてあり、直ぐに避難できるようにしてあったそうだ。昭和28年の破堤で小椋池がすべて水没している写真。昭和28年の桧尾川が決壊し、屋根を破って脱出している写真。決壊個所に仮締切を作って復旧している写真。昭和28年の芥川の決壊で芥川と女瀬川の合流部が決壊している写真。低地では1か月ぐらい水が引かなかったそうだ。芥川は大正6年に芝生、昭和28年に女瀬川、昭和42年で農協如是支店裏の決壊している。当時はほとんどが水田だったが、今ならもっと被害が出ているだろう。
この数年集中豪雨が増えている。このデータは少し古いですが、時間50mmとか、100mmとかの発生回数が昔に比べて、最近は、年々増加している。台風ではなく、予期せぬ時の雨が増えている。東海豪雨では観測史上最大の1.8倍の雨で決壊している。平成16年は足羽川、兵庫の円山川が決壊している。円山川は、平成2年には堤防ぎりぎりまできたが、なんとか持ちこたえることができていたが、16年にはそれ以上の雨が降り、決壊した。円山川は町全体が軟弱地盤なので改修が進みにくい。
 では、破堤はどうして起こるかということだが、越水、浸透、洗掘の3つのタイプがある。これは、木津川の堤防の写真で、砂でできているところもあり安全性が十分ではない。淀川では太閤さんの時代より堤防をちょっとずつ高くし、最初は、低い水位でゆっくりと浸水するが、堤防が高くなり、破堤すると一気に水が流れ込むようになり、危険度が増している。そのために堤防強化対策をしている。これは堤防強化対策の例。川側は、遮水シートと鋼矢板で川の水を堤防に入れないようにし、人家側は、ドレーンを入れて堤防の水を排水させる対策などを実施している。他にも、このようなアーマレビー(鎧堤防)、堤防の表面をコンクリートで覆い、崩れないようにするものだが、見た目、景観、耐震の問題がある。ハイブリッド(混成)堤防は芯材を入れて補強するものだが、地下水の遮断や耐震性の問題があり現実的でない。他、淀川では、一定規模の整備は完了している。スーパー堤防、幅広の堤防を作って、壊れない堤防も作っている。
 芥川と女瀬川の河川改修は、一定規模の整備は完了している。堤防を高く、川幅を広く、護岸を設置してきた。今後河床を掘削していく。高槻市の洪水ハザードマップで自分の家、避難場所の情報を得てほしい。洪水のときの備えもしてもらいたい。


藤本)
芥川の治水について。河川法の移り変わりとして治水と利水だったのが平成9年に環境が入った。また地域の意見を反映した河川の整備計画を作るという内容が入った。河川整備計画とは、国の河川の整備基本方針に基づいて作成されるもので、淀川右岸ブロックとして平成16年11月に策定した。淀川右岸には、芥川、桧尾川、水無瀬川があり、この流域を対象とする。芥川の主な水害は昭和28年に大蔵司橋付近、女瀬川合流右岸の決壊がある。昭和42年には西之河原橋が流出し、女瀬川右岸が決壊した。平成11年には原大橋上流で数か所の護岸が崩壊。昨年の8月6日には高槻市消防本部観測所では2時間で115mmが降っている。芥川に問題はなかったが、176件の家屋が浸水している。
 府は城西橋から塚脇橋の間を、昭和35年に改修計画をたて、昭和63年までの間に西山川までを改修し、それ以降に塚脇橋までを改修した。城西橋~JRと芥川橋~門前橋は100年に1度の雨(1時間80mm程度)に対応する改修を平成11年までに完成している。今後の整備計画では、その間、JR~芥川橋を100年確率で整備する。JR橋付近は河床を下げて断面を確保する。JR右岸の防災ステーションは整備済みで、普段は清水池の公園として利用してもらっている。今後整備するのは時間と費用がかかる。皆さんも大雨に対して意識を持っていただきたい。
今日配った資料にホームページの河川情報を案内しているので参考にしてもらいたい。

会場から
Q.)川の中に堆積する砂はどうするのか?水の水位はどこで測るのか?
藤本)堤防を作った時の断面の20%の土砂がたまったら浚渫するという基準で作業をする。河川水位は計画の河床からの水位で堤防の高さから危険を推移して表している。芥川橋の図では河床から堤防の天端まで5.6mある。2.7mで危険、5.4mで避難とされている。
Q.)堤防の上からみて何m来たらという逃げるというのはないのか。PCの断面水位では一般の人にはわからない
藤本)危険水位は堤防天端から30cm下である。2.2m下であれば氾濫注意水位である。
司会)危険な状態で現地に行って見て判断するのではなく、川へは近寄らないように。
藤本)大雨洪水警報が出たら川へは近寄らないこと。気象台の情報、雨の降り方を見て川へは近寄らないように。
Q.)1/100対策とはどうゆうこと?
藤本)100年に1度の雨という意味。

中島)みなさんが一番心配なのは芥川の堤防ではないか。国・府の管理区域で堤防を越水する可能性、越水したときの破堤する可能性、破堤しない対策は行われているのか、を後で話してもらいたい。太田さんは清福寺にお住いで、歴史を踏まえてお話ください。

太田)利水について話をさせていただく。自分自身では水田を持っていない。芥川で育ったので、芥川を見続けてきた。西野というのは阿久刀神社からJR鉄橋までをいう。芥川が天井川なので、昔から水の便が悪く、1週間も水が降らないと川が渇く。川の勾配がきつく、水持ちが悪い。堆積した土砂の下を伏流水が流れるので、伏流水を取り出して灌漑用水にしていた。当時は40haの水田があったが、今は実際に水田として水稲栽培をしているのは1.2haである。水利については今は苦労はない。堤防の護岸工事も進み、芥川の川底が浚渫で低くなっているので、水が枯れることなく流れている。昔よりも状況はよくなっていると思っている。
 芥川橋から北へ200m行くと門前橋がある。その間に桜がたくさん植えられ、桜堤公園として多くの人が利用している。昔はソメイヨシノ、タカオモミジが交互に植えられている。タカオモミジの寿命か害虫かで次々に枯れ、現在はソメイヨシノが48本になってしまい、タカオモミジが14本しかない。タカオモミジの7本はこの3,4年で枯れてしまうだろうと思う。一方、アキニレが増えて27本になってきた。近年の気温の上昇や大気汚染の影響だろうか。右岸の堤防の法面を近隣の方が木を植えている。堤防の美観が損なわれている。すべてアキニレの並木にならないように、桜堤の美観を残したいと思っている。左岸の歩道の柵に「花はまた…」という唱が読まれている。今後もそのイメージを残していきたい。

古藤)
環境を抜きに芥川を語ることはできない。1942年に大蔵司に生まれ、70年近く暮らしてきた。昭和28年に決壊したときには、家から芥川の水が堤防を越えるのを見た。堤防は切れたとたんに300mほどが流れ、たちまちすべてが水没していった。山川が芥川と合流する100mほど下流で堤防が崩落したこともある。治水に関しては行政のたゆまない努力により、堤防の決壊はほとんどないんじゃないかと思う。かつては毎年どこか芥川の一部が崩落し、土嚢をもって走るという経験を親がしていたのを見ていた。そうゆうことは今は全くなくなった。築堤の技術が向上したからだろうと思っている。
 揚水については、夏に水番がついて、上から順に田に水を入れていく。水路の整備によって、不必要なぐらい水が豊富に流れるようになっている。水利組合と市の水制の努力による。治水、利水についてはもはや問題ないと思っている。
 ずっと川とともに生きる視点として、どうあるべきかを考えてきた。行政は防災の専門家がその視点で堤作りを行ってきたと思うが、その裏返しが川が川でなく水路になってしまった。川へのイメージが根底から変わった残念さが強い。治水優先の行政の中で、芥川の河川、水質が変わってきた。万博が過ぎるころまで採石が盛んだった。工場が10個はあったと思う。発破で崩した石を川で洗うので泥水が芥川へ流れた。松が丘・安岡寺が開発され、雨が降れば泥水が川へ流れてきた。これが3つの谷川から芥川へ流れ込んだ。丸紅が南平台にゴルフ場を開発したのでまた泥が流れ込んだ。昭和20~30年代は川の砂利を業者が採掘していた。3トントラックが砂利を運ぶ時、フルイにかけて泥を川に残して帰るので、やはり泥が残る。小石の川ではなく、泥がたまり、雑草、雑木が残っていった。岩石も土建業者が持ち出してしまったので、岩石もなくなり、ウナギやモクズガニの住処もなくなってしまった。大水が出たらざっと水が通り、生き物もすべて下流に流されていった。原の奥から摂津峡までには岩が残っているが、底につくことが無理な、4m以上の淵があったが、今はすべて泥で埋まって、摂津峡の景観は変わってしまった。郡家、東五百住の揚水は水が必要なときには堰に土嚢を積んで水を取っていた。雨のたびに土嚢は流されるので泥がたまることはなかったが、コンクリートの堰を作ったので上流に石はなくなった。東山川、西山川、真如寺川は行政が勝手に作った。真如寺川は小川という。そのあたりは高い堰が作られてしまって、谷川と芥川が切られてしまった。
西之河原の砂防堰も魚の上下はできなくなっている。川嶋井堰も同様。また、生活排水が川を汚した。
 開発のため水資源が枯渇して水質が悪化した。今は水がきれいになったとは聞いているが昔ほどではない。服部は100町の水田が広がっていた。地下水の宝庫で山がもつ保水力の地下水が服部に流れ、大蔵司では地面から吹きあがっていた。この水が芥川に戻っていた。伏流水によって浄化されていた。しかし山林の開発で地下水が枯渇し、伏流水が消滅し、芥川への水の流入は0になった。服部が住宅化したことも要因だろう。
 治水・利水の問題。堤防をできるだけ頑丈にする。川と川の内側の関係を完全に遮断しないと十分な堤防がつくれないという発想と、川が生き物であるという考えは全く対立する。堤は蛇カゴだったから伏流水が流れ込んできた。地下水は暖かいので藻が発生し、小エビや小魚が発生していた。上流で水を農業用水でとられたのに、堰の下で清水がコンコンと湧き出していたので川が復活していた。蛇かごのつぎは間知石になったが、水は染み出していた。コンクリートブロックになり隙間がなくなり、地下水がなくなり、魚がいなくなった。
 まわりのすべてをアスファルトにしてしまった。地下水ができる要因は水田の水が地下に浸透する程度であるが、市道も離里道も農道も全部アスファルトになり、雨水が地下に浸透することもなくなった。
 服部も郡家も服部の地下水脈を活用し、伏流水を活用する。戸手(トデ)がある1間~2間四方の井戸だが、井戸は地面より低く、戸手は自噴し、地面よりも高い。真上の村600戸を1つの戸手で賄える水量があった。
 河川の管理の問題として、治水第一にした改修。あくあぴあは両岸が竹ヤブだったので、山からの水が染み出していたが、それもなくなった。今井出は3段だったので魚の行き来はできたが、高い堰になったのでなくなった。いろんな魚の種類があった(淀川の魚が服部にもいた)が一切なくなり、単純になった。安全第一主義として、河川への立ち入りを阻止された。堤から河原へ下りる道路があり、村の人間は流木を取り払ったり、燃やして川原の美化をしていたが、一切できなくなった。堤防については、春は草刈、冬は芝焼きをする。子供の仕事。流木を採取する。流れをスムーズにするため。蛇かごの点検。自分たちの村の川は自分たちで守るんだという発想があった。その川で野菜を洗ったり、鶏を料理し、川の恩恵を受けていた。最近では川の中の土砂をいつとりのぞくのか、という質問に水の量で20%という回答があり、その堆積した土砂を生物のために残しているという話だが、今の堆積の泥の上に生えているのは好ましい植物ではない。ヨシ、アシ、クズなど昔は一切ない目障りなだけの雑草で生い茂っている。なんとか取り除いてほしいし、許されるなら住民の力で除去できると思っている。かつてのネコヤナギやシノダケやノイチゴなど、楽しい植物は一切なくなってしまった。

会場から
Q.)河川法がかわった話のなかで、管理する側として環境に関して配慮したことがあれば教えてもらいたい。
河田)いままでも環境を蔑ろにしていたわけではないが、法改正を契機に環境への配慮をさらにしている。平成21年3月31日の淀川水系の河川環境整備計画を作った。環境への影響を考えながら、影響を把握しながら、もし悪いのであればそこを直しながら、順応的に管理していくように考えている。芥川で行っているのは、河川の縦断的なつながりを回復するために魚道を設置したりしている。
藤本)府としても環境に重視した施策を行っている。まずは治水だが、それから環境を考え、生態系にやさしいかわ作りを行っていきたいと思っているので協力してもらいたい。

Q.)官庁的な話が多く、市民レベルの話をしてもらいたい。
①芥川の流域の植物の生え方、河川の土砂の水位の状況、芥川の避難水位を逆算して,日本の雨は200mmで危険と聞いた。
②堤防からどのぐらいになったら危険水位であるという杭をつけてPRしてもらいたい。
③河川の土砂を除去する目安としての20%をもう少しわかりやすく解説してもらいたい。

Q.)昭和32年に高槻に引っ越してきた。すごくきれいで魚がいて楽しかった。その後開発のいろいろな影響があったが、今はそうゆう影響は少ないので、何かをすれば昔の状況にもどすことは可能か?

Q.)九州で育ったので、川や山はもっと身近であると思っていたが、高槻では川を身近に感じられない。摂津峡や上流は素敵な自然が残っているが、自分たちの生活の中に川の魅力がないと実感する。行きたい田んぼや川がないので自然がなくなったのかな、と思う。先ほどの方が言われたように市民の力で自然が残るのなら、教えてもらいたい。

Q.)ホタルの餌になるカワニナの生息調査をしている。川にヨシが生えてるので、水は片方だけを流れて狭くなっており、雨ではものすごい勢いで水が流れる。カワニナの生息場所がどんどん下へ流されて、いままでいなかった用水にもカワニナがいる。魚道を作るために堰を高くしたので、用水にカワニナが流されている。川の形が変わっている。水の流れる場所が狭く、深くなり、生息した生き物が流されている。最近は子供が水に親しむための地域を作っているが、たとえば門前橋の舞台では、すぐに砂利がたまる。採石場の砂利が上流に残っていて、大雨で流されていると思う。せっかく作った施設を維持するためにこうゆう砂利をとる必要がある。浚渫が20%というが今は何%なのか。もう長いこと浚渫していないので、川の形が変わっている。堆積物を除去してもらいたい。

中島)土砂の問題は芥川倶楽部、河川レンジャー、行政で考える必要がある。

Q.)昭和28年の洪水後、あの思いはしたくないということで治水を行ってきたおかげで、今の生活の安定感がある。そのため周りが見えるようになってきたので、話し合おうという気風がでてきた、話あう時期がきたと思う。

藤本)高槻市がハザードマップを作っている。どこが浸水する、という表現であり、避難勧告をするのは高槻市である。どのような状況で勧告するかは市が作ることになっている。
堆積土砂の除去は、計画河床を基準として、流下断面積の20%で除去するということが今の進め方である。

河田)河川が身近に感じられないのはそのとおりと思う。川が汚くなり、こどもにも危ないと教育しているし、いろいろな問題が川で発生しているのは、川から人を遠ざけたことにある。川は楽しいが危険でもあることをPRし、川にみなさんにきてもらえるようにしたい。川を敬遠せずに、川へ来てもらいたい。

太田)古藤先生と同感で、子供の時分と比較して、非常に殺伐とした状況になっている。昔はもっと環境にやさしい、環境に包まれた生活をしていた。最近、小学校の課外授業で3,4年生を引率しながら芥川の昔の話をすると、「うっそー」といわれる。小さい子どもには昔の状況を理解してもらえない。エコというが、もう一度考え起して自然とわれわれの生活が近寄って行けないかと思っている。

中島)先ほどの意見は河田氏、藤本氏とも受け止めてもらいたい。下流では川に降りられない。今度の11月28日の芥川倶楽部がリバーウォッチングを行う。昨年は下流からJRまでを歩いたが、川に近付ける親水性のある遊歩道があってもいいと思った。いろいろなことを見ながら芥川の現状を知りたいと思うので、参加してもらいたい。
 河川法の改正でも市民の意見を取り入れられる場がなかなか持てない。整備計画を知らない方もいるし、毎日川を見ている人の意見をどう取り入れるかも考えていきたい。
 今日の講演が芥川と淀川の再発見につながれば、と思う。

司会)4回の連続講座で解決の糸口が見つかれば、と思う。