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2009年10月14日

あくあぴあ連続講座3「タナゴのそだつ川づくり」

企画展「芥川の魚たち」に関連して、芥川とそこにすむ魚についての話と、最新の川づくりの考え方や工法について、川づくりの専門家に解説していただきました。

★講演内容全文を掲載しました★
日時
2009年9月13日(日) 午後1時30分〜午後3時45分
場所
あくあぴあ芥川 3階 多目的ホール
講師
萱場祐一((独)土木研究所 自然共生研究センター長)
申し込み
不要 先着40名
参加費
無料
要旨
あくあぴあ芥川館長田口から、芥川の自然や水質などの現状を説明後、萱場センター長から川の流呈(上流・中流・下流の特徴)と水生生物の生息モデルの説明がありました。本題のタナゴについては、タナゴが産卵する二枚貝の生息する場所の特徴を解析した結果を報告。水辺の生き物、特にタナゴと二枚貝には川辺の撹乱が必要であることをわかりやすく説明していただきました。
館長
館長から芥川の説明

tanago02.jpg
萱場センター長から流程と二枚貝の話



★講演全文★ ●芥川ってどんな川(田口圭介)  ランドサット、国土地理院航空写真で芥川の位置関係を確認。縦断的には原までは急勾配、原で勾配がゆるくなり、摂津峡で再び急になる。川底には石や砂が詰まった状態で下流では石が転がらず、水生生物が少なくなっている。淀川合流から摂津峡までに堰と落差工が約10個あり、魚の行き来が阻害されている。市民がアユを確認し、行政と市民で魚道づくりを始め、部会をつくり、土嚢で魚みちを作った。この土嚢の魚みちをヒントにデルタフリー(ブロック)で門前橋に魚みちを作った。行政と一緒に障害もなんとかしていこうと活動してきた成果を受けて、国土交通省の管轄区域である下流の一番大きな落差工に魚道をつくる計画が進んでいる。水質は現在BODで1~2ppm程度である。1974年以前はひどく、年平均で30ppm以上あった。高槻の人口が2万以上増えた時代なので、下水処理が追いつかず、工場排水や家庭排水が芥川に流入していた。山川はあくあぴあよりもちょっと下流に流入する川だが、ひどい状態だった。平成4年でもまだ一日に200kg以上の汚濁物質が流入していた。今はかなり改善されている。そんな芥川での魚の状況は、たかつき環境市民会議のデータでは、昨年でも28種類が確認されており、淀川の魚であるウツセミカジカやカワヒガイも確認されている。タイリクバラタナゴ、トウヨシノボリはこの2年見つかっていない。あくあぴあの2階に展示しているウナギは門前橋で見つかった。ギギも最近は見られてない。2007年のデータを場所ごとに見ると、芥川大橋が20種と多い。カネヒラは鷺打橋のところしか見つかっていない。オオクチバス、ブルーギルは下流で常に見つかっている。少し前に芥川の下流で貝が歩いた道筋を発見して、喜んだことがある。その後、環境市民会議の観察会でイシガイやトンガリササノハガイなどの二枚貝が見つかっている。芥川下流域でみつかっているタナゴの仲間(カネヒラ)が繁殖していくためには、二枚貝の生息が不可欠の条件である。本日の萱場祐一先生の講演をヒントに芥川でタナゴが育つ川づくりが進められたらと思っている。
 なお、今日の連続講座は企画展「芥川の魚たち」の関連講座である。
 

タナゴが育つ川づくり(萱場祐一)
 自然共生センターではタナゴが産卵するイシガイ類の調査をしている。イシガイ類とそれに産卵するタナゴは減少してきており、近い将来いなくなることが懸念されている。
 センターでは人工の実験河川を使って研究をしていて、3本の川と3つの池がある。長さは800m。川の中は人工的にコンクリートを設置した区間、植物が繁茂する区間等がある。特徴の一つは上流にゲートがあり流量調節ができることで、川の流量を変化させたらどうなのか、ということを調べている。実際の河川では比較実験ができないのでこのような施設が必要である。実験河川にコンクリートを張ったり、水があふれる区間を作ったり、わんど区間をつくったりして、変化を観察している。木曽川、新境川と実験河川がつながっているので、魚が自由に行き来でき、魚は25種ぐらいいる。イチモンジタナゴもいて、生物相は豊である。昨年3mぐらいの落差が洪水のためにでき、魚が全く入ってこなくなった。木曽川が洪水になって落差を魚が上れるようになってやっと魚が入ってきたので、実験できるようになった。落差があると魚が行き来できないとあちこちで言ってきたが、身をもって体験できた。
 実験河川でアユを放すとアユが食べることで川底がきれいになる。入ってくる汚濁物質が多いこともあるが、川底にたまっているものを食べる生物が少なくなっているということもいえる。小さい生物の力は人が思うよりも大きく、生物がすむことによって環境が変わっていく。
 自然共生センターは河川環境楽園の中に位置している。最も大きな施設は世界淡水魚園水族館。共生センターはアユなどの食べられる生物を研究していたが、最近は貴重種や多様性を研究している。自然発見館という資料館もあり、国営公園になっている。

 木曽川に住む有名なタナゴはイタセンパラだが、絶滅寸前である。イタセンパラは乱獲の危険性があり情報管理が難しいため話をすることができないので、今日はタナゴが産卵するイシガイの話を中心に行う。
 流程(上流、中流、下流の特長)について。上流は水がきれい、冷たい、澄んでいる(栄養塩が少ない)、岩が多い、ステップ&プール、川幅が狭く渓畔林があり日当たりが悪い。エサがどこから供給されるかが重要である。エサには2種類あり、ひとつは川の中の藻で、中下流の特徴である。上流は川の中での光合成にはいい環境ではなく、エサは川の周囲からの落ち葉や落下昆虫など、川の外から供給物される。例えば上流の魚といえばサクラマスやオショロコマなど、落ちてくる昆虫を食べている。流路工を作ると渓畔林が川辺から離れるので落下物が減り、流れが速くて淵の石の間などにたまった葉がなくなり、エサがなくなる。CPOM(粗粒状有機物、落葉落枝など)を「かじる生き物」がたべ、その生き物がさらに大型動物のえさになる。落葉から染み出す栄養を食べる生き物がまたエサになる。
 中流は石が多くなり、さらさらとした瀬と曲がったところの淵がある。川原はツルヨシなどの草本が生え、水が多くなると洗い流され、曲がっていることによってできる淵が生物の生息環境として需要である。曲がった流れには遠心力ができる。表面の流れと底の流れがあり、表面の方が流れが速い。速い方で遠心力が大きくなるので急には曲がれず、表面は外向きにながれ、底は内面向きに流れるネジレが起こるために、底が浸食されて淵になる。浸食によって外岸側は岩が露出し、入り組んだ水際ができ、入り江部は流速が下がるために非常にいい環境ができる。岸の形は多様な環境を作り出す原動力になる。内岸側はツルヨシが繁茂し、その下がえぐれ、ツルヨシの茎がオーバーハングするため流れが遅くなる。流れの速いところは1m/sぐらいでオイカワが生息するが、ツルヨシの下は流れが遅くなり、底質は砂が多くなり、カワムツが見られる。カワムツはちょっと暗めのところで生息しており、砂の好きなカマツカなども生息する。
 もっと下流にいくと、例えば長良川では単列交互砂州というダイナミックな地形になる。空からみると大きな川では規則的な模様が見える。砂州の前縁は瀬になり、カーブの落ち込みでは淵になる。川の地形が複雑になるのは川の曲がり、すなわち砂州地形である。砂州の前縁には水制が見られる。昔はこのような場所の局所的な洗堀をいかになくすかが土木行政の大きな課題であった。瀬も淵もない真平らな川を作ることが命題だったが、平成2年ごろから多自然型川づくりが始まり、瀬と淵を重要視した川作りが進められるようになった。
 川幅が広がると複列砂州など、網目状に広がる川になっていく。砂の材料や水流を変えて、どんな川になるかを研究していた。昔はどうやって洗掘を防ぐかを調べていたが、今ではどうやって瀬と淵を作るかが大切になっている。低水路の中でも低いところに沿って平常時の水道ができる。川幅が狭いと砂州はできない。ある程度の川幅があれば単列、もと広がると複列交互砂州になる。川の見方にはいろいろあるが、近づいて生物を捕る見方は局所的な見方であり、もうひとつは一歩引いて遠くから見たときで、洪水のときの流れ、そのときの地形が見えるので、川を理解しやすい。
 中流のエサはどこから供給されるか。川底に日射が入り、栄養塩があるので藻が生えやすい。川岸に河畔林があっても川の中央では林の影響を受けない。外部から入る落葉などではなく、川の中で生産される藻が重要なエサである。日本の川は諸外国に比べると透明だが、外国では濁っていて川底まで光が届かない。扇状地が多く、礫がごろごろして水深が浅い川が多い。アユが食文化として発達したのは、日本の川には石が多く、日光がとどき、藻が生える川が身近に多くあったから。魚以外で藻を食べる昆虫もたくさんいて、例えばヤマトビケラは石の巣を背負って藻を食べる。これが多いと石の表面がぬるぬるしない。
 中流から下流の間の勾配の変化点では、突然水深が大きくなり、州が水底に水没する。したがって、光が川底に届かない。生物のエサとしては、上流は落下物、中流は川底の藻であった。では下流は?である。本流での餌生産は少ないが、本流の横にある池状の水域。すなわち、ワンドやたまりは生息場として重要になる。木曽川はオランダ人のデレーケによって水制が作られ、ワンドができた。川の両側には本来湿地や氾濫源環境があった。水田や湿地、ワンドにはイシガイやドブガイが生育している。
●河川連続帯仮説(1980)エサ資源のこと
●中規模かく乱仮説(1978)洪水が大事なこと
●洪水パレス仮説(1978)洪水が大事なこと

底生動物の分類について
①摂食機能群
 破砕食者(シュレッダー)、刈り取り食者(グレーザー)、捕食者、ろ過食者、堆積物採集食者(コレクター)。これの構成が上流から下流になるにつれて変わっていく。これが河川連続帯仮説で、上流にはシュレッダーが多い。中流になるとグレーザーが増え、下流になるとコレクターが増える。しかし長い川では下流でプランクトンが増えるが、日本の川は短いので、河川性のプランクトンが発生しない。では何をたべるかというと、日本のコレクターはワンドや水田で発生したプランクトンを食べる。水田は上流から水を取り浅く引き伸ばすのでプランクトンが発生し、用排水路から川へ入り、下流の生物のエサになる。
②どう動くか
動き遅い→造網型、固着型、堀潜型、携巣型、ほふく型、遊泳型→動く速い
 ここに着目したのが中規模撹乱仮説で、洪水の頻度が少なすぎたり多すぎたりすると生物の種類が少なくなるという説。洪水がないと動かない生物ばかりになり、洪水がありすぎると動く生物ばかりになる。中ぐらいが最も多様性が高くなる。 最近の川では樹林化が問題で、川原に住む生物がいなくっている。洪水が多い場合は川原、ほどよく洪水があればパッチ場に草本や潅木がある程度だが、洪水がないと樹木で覆われて多様性が少なくなる。
 以上をまとめると、上流は岩場になっていて、水の流れがゆっくりになったりステップになったりする環境で、氾濫原がないので洪水は重要でない。中流では河原がどうなるかは洪水の役割が重要。もっと下流では瀬と淵は重要でなく、ワンドやタマリが重要で、洪水によってつながることがさらに重要である。今日話しをするイシガイ類にとってはこの中流と下流の間ぐらいが重要である。


 絶対絶命、氾濫原環境のイシガイ類!
●農業用排水路について
 イシガイ類はカワシンジュガイ科とイシガイ科に分かれる。イシガイ科は日本には16種類で同定は簡単。アメリカでは100種もあるので難しい。
 イシガイにはタナゴ類が産卵する。イタセンパラでは秋に産卵し、翌春に仔魚が出てくる。イシガイは卵ではなく幼生を放流し、それが魚に寄生し、行った先で脱落して着底する。タマリが本川と全くつながってないとか、落差があって上ってこられないような場所では、イシガイの子どもが分布域を広げられず、高齢化していく。イシガイがいるということは水域がつながっているということを意味し、タナゴの生息する可能性を担保しているといえる。日本の低平地の発達が良いとタナゴが生息する。例えば北九州は平野が広いのでタナゴがいるが、南九州では低平地が狭くタナゴがあまり確認されない。関東平野、濃尾平野、大阪平野などの広い平野においてタナゴがいるかいないかは、低平地の健全をはかる指標である。
 自分はオバエボシガイ、カタハガイ、マツカサガイ、トンガリササノハガイの4種の分布について調べている。これらは西日本中心に分布していて、昔はたくさんいたと思われる。4種とも絶滅危惧種で、環境省のランクではオバエボシがⅡ類、それ以外が準絶滅危惧。地方版でも絶滅危惧に指定されている。なぜ特にオバエボシとカタハが減っていくのか。岐阜県関市で地域の生息調査をした。そこでは貝が生息している場所が改修されてしまうことになっていた。排水路は地域の問題があり、改修はさけられず対策が必要になったが、貝の生息に必要な環境条件があまりよくわかっていない。生息している用排水路と生息していないところの違いはなにか、水路の中のどんな環境に住んでいるのか、を調べてみた。
 縦断方向1mごとに縦断側線を張り、側線上に方形区をつくり、流速、水深、底質の微環境を測り、水深、流速、川底のスコアを調べた。水深があれば流速がはやく、川底の材料も大きい。環境条件が似ているところをまとめる主成分スコアにしてみた。住んでいるところのスコアを足し合わせると、オバエボシは流心部、カタハガイは水際、マツカサとトンガリは中間に当てはまることがわかった。川の改修を行うと中間領域は残るが、すごく速い場所やすごく遅い場所がなくなる。人の手を入れると極端な環境がなくなり、平均化されてしまう。つまり、オバエボシとカタハガイの環境がなくなってしまう。4種を生息させるためには、川底に土砂あり、横方向と縦方向に速いところ、遅いところなどの環境の差があるかどうか、が必要であることがわかった。そこで保全のため貝を避難させ、調査に基づいた工法で改修し、地域の子どもなどに呼びかけて避難個体を再放流し、小学生を引き込みながらモニタリングしている。貝のための対策としては、川の中に突起を出すことで流れの幅を狭め、横断方向に流れの速さを変えた。縦断的には横板を入れ、板の前後に礫を入れて、瀬を作った。横断、縦断方向に流れが変化をもつようにした。オバエボシとカタハガイは順調に生育している。ものが引っかかったり、草刈などの手入れが必要なので地元には嫌がられる。メンバーは地元で熱心に活動する人や、共生センターのスタッフなどと連携している。ただ、改修した水路の下流は落差があったり、三面張りだったりで貝の生息は不可能。地元と共生センターと岐阜県の研究所など、いろいろな人たちが役割分担しながら保全活動をしているのが、関市モデルとなっている。地域の保全活動にどんな団体とチームを組むかが重要。地元があって、研究機関があって、タイアップして行うのがいい。

●河川本流沿いのワンドとタマリについて
ワンドはドブガイ、イシガイ、トンガリササノハガイが対象。木曽川はイタセンパラが生息しているが、絶滅に瀕していて見つけるのが困難になってきている。ではイシガイ類はなぜ減っているか。木曽川は1970年代砂州が広がる撹乱される川だったが、浚渫や土砂供給の減少により河床低下し、裸地が取り残され、樹林化してきた。どこの川でも同じだが、生物多様性が減少している。イタセンパラは底をつついて付着藻類を食べるので、水深が浅くて底に藻が生える場所に生息する。
 植生に被覆された氾濫原は陸域の95%にもなる。ワンドの高さはちょっとずつ上がっている。一方、川底の最深部では50年で4m以上下がっている。現在でも下がり続け、将来的にももっと下がっていくだろうと思われている。
調査地は木曽川の中流部で、平常時も本川とつながっているのをワンド、平常時は本川と離れているのをたまりと呼ぶ。

・洪水撹乱とイシガイ類の生息とは関係するか?
 調査はワンドにコドラートを設置して定量調査を行う。洪水撹乱の評価は、たまりはつながったら撹乱、ワンドは水位が5cm上昇したら撹乱とし、撹乱頻度を定義する。1996年から2006年の撹乱頻度を68水域で調査した。ドロドロで足がはまって大変な作業である。31水域でイシガイ類が生息していた。ワンドはすべて、タマリは37のうち23で生息していた。つまり川とつながってたほうが良い。860コドラートのなかでは569地点で、トンガリ37%、イシガイ35%、ドブガイ28%。これでもかなり少ない印象。
 1年に5回以上洪水がある場所、本川に近いところで生息数が多い。生息適地を50%確立でイシガイがいるところと定義(およそ年5回以上冠水するところ)、は1962年以降、減少し続けている。ワンド、生息たまり、非生息たまりの計9箇所にイシガイなどをナンバリングして沈め、どれぐら死ぬか、生きていれば成長率を実験した。環境指標として水質、水温、EC,DO,有機物、酸化還元電位などを調べた。ワンド、生息たまりではほぼ生残した。非生息たまりではどんどん死んだので、環境に問題がある。非生息タマリは底の有機物がワンドの10倍ある。落葉が分解せずに残り、嫌気的になり、貧酸素水塊が発生する。水面比高差が上がると撹乱頻度が下がり、樹林化し、落葉が入り、洪水がないので水が入れ替わらず落葉も流れない、分解されず、嫌気化し、貝がいなくなる。貝は泥が高くなると沈んでいくので、自分の体を持ち上げるためのエネルギーが多く必要になる。さらに宿主が少なくなる。
 こうなってしまったタマリをどうやって再生するかというと、河原を切り下げて、年5回ぐらい冠水する河床を作って人工ワンドを作れと良いだろう。

 河川は水田に比べると自然再生をやりやすく、河床が下がっても希望のもてる事業ができると思う。水田、用排水路はより危ない状況にあり、どうやって残すかが非常に重要である。仕組みづくり、予算などのハードルがある。名古屋でCOP10がある。ボンで行われたCOP9の中では、都市域のかける負荷が大きい地方自治体の役割が重要で、地域の環境を守ることを戦略的に進めることが必要である。高槻市は取り組みが進んでいるし芥川を中心とする皆さんがいるので期待が持てる。日本の多くの市町村で土地のオーナーがいる場所での環境保全は難しい。小学校と一緒に長い目で地元づくりをすることも重要であろう。

会場から
Q.)実験でネットに貝を入れて沈めているが、貝の移動性の影響はないのか。
萱場)ゆっくりでも移動するのは間違いなく、移動能力も種によって違うのだが、実験なので、そこまでできてない。先ほどの実験はワンド単位であるので、移動できたところで、どこへ移動しても生きられないと思われる。ネット内は本来の生息環境ではないが、比較としてみてもらいたい。
Q.)貝ってかなり移動するもんだな、という思いがある。
萱場)マーキングしているので、移動してもわからなくなることはない。

Q.)貝の食べているものの変化が影響するのでは?
萱場)何を食べているかというと、たまりや水田で発生するプランクトンであることは間違いない。最近では川底に生えている藻であるとも言われている。吸い込んでいるものの中の何が体を構成しているかはわかっていない。昔の砂州の環境ではプランクトンが発生しにくいので、川底の藻を食べているかもしれない。実験ではタマリの水が洪水によって入れ替わり、窒素やリンが豊富になったら生産性があがり、徐々に使い果たしてエサが少なくなるのかもしれない、ということはある。

Q.)樹林化した土砂をとりはらうと、より河床低下が起こるのではないか?
萱場)もともとの河原は上流からの土砂が河原と置き換わり、下流に流されということが起こっていたが、現在はずっと同じ材料が残っているので、下流への土砂供給の材料にはなっていない。ここを切り取ってもアクティブでなければ下流への影響はない。アユの産卵場のために陸上を切り取ることがあるが、その場合には下流の河床が下がることはあり、よく考える必要がある。

Q.)わざわざ切り取らなくても、年に何回かの人工的な洪水を起こせば解決するのではないか?
萱場)ダムがある場所からどの程度はなれているか、ダムに活用できる貯水量があるかどうか、といういろいろな要因があるので、現在の実験地ではダムから離れているので、例えば、ダムが空になるぐらいの水を流さないと冠水しないだろう。

Q.)イシガイを水槽で飼育すると、3ヶ月ぐらいで死んでしまう。部屋の中と日光の当たる場所では寿命が違う。イシガイを長く飼う方法を教えてもらいたい。
萱場)室内はダメ。普通の水産試験場は室内水槽なので、悩んでいるところが多い。光合成による付着藻類など、エサの関係があると思うが、よくわからない。広めの屋外水槽で粗放的に飼うのがいいんじゃないだろうか。水族館でも苦労しているはず。意外とストレスに弱く、人が触ると成長が止まるという人もいる。どの程度のストレスで影響がでるかはよく分からない。

Q.)芥川での調査では、小さな貝が捕れていない。貝の寿命は?
萱場)10年とかじゃないかと思う。ある川で調べているドブガイは稚貝がいなくて、洪水の時にドブガイが成貝で流れてくるという人もいる。寄生時代、稚貝時代の生活はよくわかってない。日本の淡水貝の研究者は5人もいないのでは?

Q.)アユについて、堺の川の河口には砂場がなく、アユは上らないと言われている。河口に砂場がないと遡上しないのか?
萱場)アユは意外と水が汚くても大丈夫。溶存酸素と水温さえクリアできればどの水域にも入ってくる。いったん増えると増えだすと思う。産卵場があるかどうか。コイがたくさんいるのはよくない。

2009年10月13日

芥川・淀川連続講座 第4回「災害は忘れた頃にやって来る!~芥川の治水・利水・そして環境~」

新型インフルエンザで延期になった第2回目に予定されていた講座です。
★講演録 全文を掲載しました。

総合司会 / 山﨑文男(芥川倶楽部)
パネラー / 河田安弘管理官(国土交通省淀川河川事務所)
         藤本哲河川砂防グループ長(大阪府茨木土木事務所)
         太田晴巳氏(西野水利組合組合長)
         古藤幸雄氏(大字服部財産区管理会会長)
日時
2009年9月12日(金) 午後2時〜4時20分
場所
高槻市生涯学習センター 3階研修室
参加者
約50名
その他
主催 淀川管内河川レンジャー 中島敏明
共催 芥川倶楽部、あくあぴあ芥川
支援 国土交通省淀川河川事務所
協力 たかつき環境市民会議
後援 大阪府茨木土木事務所、高槻市
要旨
河田氏から淀川と芥川の過去の災害事例と国土交通省の防災の取り組み、藤本氏から大阪府の防災の取り組みの説明があった後、 太田氏から芥川の水の利用について、古藤氏から芥川の昔と今の比較の話をいただきました。古い洪水の写真などは災害の恐ろしさを鮮明に記録していました。これまでの講座が、治水と利水と環境とをどううまくつなげるかを考えるヒントになることを期待して、4回の講座を終了しました。
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★講演録 全文★

主催者挨拶
中島)今まで3回、さまざまな視点から講座を行ってきました。今回が最終回です。台風9号で佐用町は大変な被災を受けられたが、佐用町の方は自分たちがこんな目にあうとは思っておられなかった。初心に帰って治水を考えたいと思う。
田口)治水のテーマは本来2回目の予定だったが、諸事情で4回目になった。堤防が切れて洪水になる水害もあり、局地豪雨という水害もあり、最近ではニュースになっている。川で水が多いのは脅威だが、川で生き物を見ている人間からすると、多すぎるのも困るがなさすぎるのも困る。川は水が流れてこそ川なので、水をどうコントロールするか、水利組合の方や治水に携わっている方、芥川のそばで川を見続けている方がこられている。生き物にやさしい、よりよい芥川を作るために、いろいろな立場の方のお話を聞きたい。

パネルディスカッション
河田)生まれは京都の大江町という由良川が流れ込む町。由良川は堤防もない原始河川で、しょっちゅう水害が起こっていた。高校のころは水害が起こると学校が休みになり、よかったのですが、今は、そのようなことがないように河川を整備する仕事をしています。
大阪湾からみた淀川の図で、琵琶湖、桂川、宇治川、木津川が見られる。特徴としては、桂川であれば保津峡という狭窄部がある、宇治川では鹿飛(シシトビ)渓谷という狭窄部がある。木津川では岩倉峡がある。どれも自然のダムのような狭窄があるところが特徴である。ランドサットからみた淀川。まっすぐな河川で、三川合流まで36kmあり川幅が広い。枚方大橋でも700mぐらいある。河川縦断図では大阪府の天守閣の高さは琵琶湖の底ぐらいになる。天ケ瀬ダムも同様。河口は河床勾配がゆるやかで、宇治の平等院よりも上流では傾斜が急になる。海外と比較すると、非常にゆるやかで、途中で河床勾配が急になる。それに比べると日本の川は急勾配な河川である。普段でも川の水は雨は1泊2日で海にでるといわれるように、洪水になりやすい河川である。テムズ川は町の低いところを流れているので、あふれても町の一部がつかる程度。一方淀川、大和川では町よりも高いところを流れている。最大流量と最少流量の差を比較すると、日本の河川は差が大きく、外国の河川よりも日本の河川はすぐに洪水になり、洪水になってもすぐに水が引くということが特徴である。過去の淀川の氾濫実績では、明治18年、大正6年、昭和28年の破堤の出水状況の図がある。大正6年の図では高槻の1階部分の屋根下まで水がきて船で避難している写真。昔は、大江町では川に近い家は軒に船を吊るしてあり、直ぐに避難できるようにしてあったそうだ。昭和28年の破堤で小椋池がすべて水没している写真。昭和28年の桧尾川が決壊し、屋根を破って脱出している写真。決壊個所に仮締切を作って復旧している写真。昭和28年の芥川の決壊で芥川と女瀬川の合流部が決壊している写真。低地では1か月ぐらい水が引かなかったそうだ。芥川は大正6年に芝生、昭和28年に女瀬川、昭和42年で農協如是支店裏の決壊している。当時はほとんどが水田だったが、今ならもっと被害が出ているだろう。
この数年集中豪雨が増えている。このデータは少し古いですが、時間50mmとか、100mmとかの発生回数が昔に比べて、最近は、年々増加している。台風ではなく、予期せぬ時の雨が増えている。東海豪雨では観測史上最大の1.8倍の雨で決壊している。平成16年は足羽川、兵庫の円山川が決壊している。円山川は、平成2年には堤防ぎりぎりまできたが、なんとか持ちこたえることができていたが、16年にはそれ以上の雨が降り、決壊した。円山川は町全体が軟弱地盤なので改修が進みにくい。
 では、破堤はどうして起こるかということだが、越水、浸透、洗掘の3つのタイプがある。これは、木津川の堤防の写真で、砂でできているところもあり安全性が十分ではない。淀川では太閤さんの時代より堤防をちょっとずつ高くし、最初は、低い水位でゆっくりと浸水するが、堤防が高くなり、破堤すると一気に水が流れ込むようになり、危険度が増している。そのために堤防強化対策をしている。これは堤防強化対策の例。川側は、遮水シートと鋼矢板で川の水を堤防に入れないようにし、人家側は、ドレーンを入れて堤防の水を排水させる対策などを実施している。他にも、このようなアーマレビー(鎧堤防)、堤防の表面をコンクリートで覆い、崩れないようにするものだが、見た目、景観、耐震の問題がある。ハイブリッド(混成)堤防は芯材を入れて補強するものだが、地下水の遮断や耐震性の問題があり現実的でない。他、淀川では、一定規模の整備は完了している。スーパー堤防、幅広の堤防を作って、壊れない堤防も作っている。
 芥川と女瀬川の河川改修は、一定規模の整備は完了している。堤防を高く、川幅を広く、護岸を設置してきた。今後河床を掘削していく。高槻市の洪水ハザードマップで自分の家、避難場所の情報を得てほしい。洪水のときの備えもしてもらいたい。


藤本)
芥川の治水について。河川法の移り変わりとして治水と利水だったのが平成9年に環境が入った。また地域の意見を反映した河川の整備計画を作るという内容が入った。河川整備計画とは、国の河川の整備基本方針に基づいて作成されるもので、淀川右岸ブロックとして平成16年11月に策定した。淀川右岸には、芥川、桧尾川、水無瀬川があり、この流域を対象とする。芥川の主な水害は昭和28年に大蔵司橋付近、女瀬川合流右岸の決壊がある。昭和42年には西之河原橋が流出し、女瀬川右岸が決壊した。平成11年には原大橋上流で数か所の護岸が崩壊。昨年の8月6日には高槻市消防本部観測所では2時間で115mmが降っている。芥川に問題はなかったが、176件の家屋が浸水している。
 府は城西橋から塚脇橋の間を、昭和35年に改修計画をたて、昭和63年までの間に西山川までを改修し、それ以降に塚脇橋までを改修した。城西橋~JRと芥川橋~門前橋は100年に1度の雨(1時間80mm程度)に対応する改修を平成11年までに完成している。今後の整備計画では、その間、JR~芥川橋を100年確率で整備する。JR橋付近は河床を下げて断面を確保する。JR右岸の防災ステーションは整備済みで、普段は清水池の公園として利用してもらっている。今後整備するのは時間と費用がかかる。皆さんも大雨に対して意識を持っていただきたい。
今日配った資料にホームページの河川情報を案内しているので参考にしてもらいたい。

会場から
Q.)川の中に堆積する砂はどうするのか?水の水位はどこで測るのか?
藤本)堤防を作った時の断面の20%の土砂がたまったら浚渫するという基準で作業をする。河川水位は計画の河床からの水位で堤防の高さから危険を推移して表している。芥川橋の図では河床から堤防の天端まで5.6mある。2.7mで危険、5.4mで避難とされている。
Q.)堤防の上からみて何m来たらという逃げるというのはないのか。PCの断面水位では一般の人にはわからない
藤本)危険水位は堤防天端から30cm下である。2.2m下であれば氾濫注意水位である。
司会)危険な状態で現地に行って見て判断するのではなく、川へは近寄らないように。
藤本)大雨洪水警報が出たら川へは近寄らないこと。気象台の情報、雨の降り方を見て川へは近寄らないように。
Q.)1/100対策とはどうゆうこと?
藤本)100年に1度の雨という意味。

中島)みなさんが一番心配なのは芥川の堤防ではないか。国・府の管理区域で堤防を越水する可能性、越水したときの破堤する可能性、破堤しない対策は行われているのか、を後で話してもらいたい。太田さんは清福寺にお住いで、歴史を踏まえてお話ください。

太田)利水について話をさせていただく。自分自身では水田を持っていない。芥川で育ったので、芥川を見続けてきた。西野というのは阿久刀神社からJR鉄橋までをいう。芥川が天井川なので、昔から水の便が悪く、1週間も水が降らないと川が渇く。川の勾配がきつく、水持ちが悪い。堆積した土砂の下を伏流水が流れるので、伏流水を取り出して灌漑用水にしていた。当時は40haの水田があったが、今は実際に水田として水稲栽培をしているのは1.2haである。水利については今は苦労はない。堤防の護岸工事も進み、芥川の川底が浚渫で低くなっているので、水が枯れることなく流れている。昔よりも状況はよくなっていると思っている。
 芥川橋から北へ200m行くと門前橋がある。その間に桜がたくさん植えられ、桜堤公園として多くの人が利用している。昔はソメイヨシノ、タカオモミジが交互に植えられている。タカオモミジの寿命か害虫かで次々に枯れ、現在はソメイヨシノが48本になってしまい、タカオモミジが14本しかない。タカオモミジの7本はこの3,4年で枯れてしまうだろうと思う。一方、アキニレが増えて27本になってきた。近年の気温の上昇や大気汚染の影響だろうか。右岸の堤防の法面を近隣の方が木を植えている。堤防の美観が損なわれている。すべてアキニレの並木にならないように、桜堤の美観を残したいと思っている。左岸の歩道の柵に「花はまた…」という唱が読まれている。今後もそのイメージを残していきたい。

古藤)
環境を抜きに芥川を語ることはできない。1942年に大蔵司に生まれ、70年近く暮らしてきた。昭和28年に決壊したときには、家から芥川の水が堤防を越えるのを見た。堤防は切れたとたんに300mほどが流れ、たちまちすべてが水没していった。山川が芥川と合流する100mほど下流で堤防が崩落したこともある。治水に関しては行政のたゆまない努力により、堤防の決壊はほとんどないんじゃないかと思う。かつては毎年どこか芥川の一部が崩落し、土嚢をもって走るという経験を親がしていたのを見ていた。そうゆうことは今は全くなくなった。築堤の技術が向上したからだろうと思っている。
 揚水については、夏に水番がついて、上から順に田に水を入れていく。水路の整備によって、不必要なぐらい水が豊富に流れるようになっている。水利組合と市の水制の努力による。治水、利水についてはもはや問題ないと思っている。
 ずっと川とともに生きる視点として、どうあるべきかを考えてきた。行政は防災の専門家がその視点で堤作りを行ってきたと思うが、その裏返しが川が川でなく水路になってしまった。川へのイメージが根底から変わった残念さが強い。治水優先の行政の中で、芥川の河川、水質が変わってきた。万博が過ぎるころまで採石が盛んだった。工場が10個はあったと思う。発破で崩した石を川で洗うので泥水が芥川へ流れた。松が丘・安岡寺が開発され、雨が降れば泥水が川へ流れてきた。これが3つの谷川から芥川へ流れ込んだ。丸紅が南平台にゴルフ場を開発したのでまた泥が流れ込んだ。昭和20~30年代は川の砂利を業者が採掘していた。3トントラックが砂利を運ぶ時、フルイにかけて泥を川に残して帰るので、やはり泥が残る。小石の川ではなく、泥がたまり、雑草、雑木が残っていった。岩石も土建業者が持ち出してしまったので、岩石もなくなり、ウナギやモクズガニの住処もなくなってしまった。大水が出たらざっと水が通り、生き物もすべて下流に流されていった。原の奥から摂津峡までには岩が残っているが、底につくことが無理な、4m以上の淵があったが、今はすべて泥で埋まって、摂津峡の景観は変わってしまった。郡家、東五百住の揚水は水が必要なときには堰に土嚢を積んで水を取っていた。雨のたびに土嚢は流されるので泥がたまることはなかったが、コンクリートの堰を作ったので上流に石はなくなった。東山川、西山川、真如寺川は行政が勝手に作った。真如寺川は小川という。そのあたりは高い堰が作られてしまって、谷川と芥川が切られてしまった。
西之河原の砂防堰も魚の上下はできなくなっている。川嶋井堰も同様。また、生活排水が川を汚した。
 開発のため水資源が枯渇して水質が悪化した。今は水がきれいになったとは聞いているが昔ほどではない。服部は100町の水田が広がっていた。地下水の宝庫で山がもつ保水力の地下水が服部に流れ、大蔵司では地面から吹きあがっていた。この水が芥川に戻っていた。伏流水によって浄化されていた。しかし山林の開発で地下水が枯渇し、伏流水が消滅し、芥川への水の流入は0になった。服部が住宅化したことも要因だろう。
 治水・利水の問題。堤防をできるだけ頑丈にする。川と川の内側の関係を完全に遮断しないと十分な堤防がつくれないという発想と、川が生き物であるという考えは全く対立する。堤は蛇カゴだったから伏流水が流れ込んできた。地下水は暖かいので藻が発生し、小エビや小魚が発生していた。上流で水を農業用水でとられたのに、堰の下で清水がコンコンと湧き出していたので川が復活していた。蛇かごのつぎは間知石になったが、水は染み出していた。コンクリートブロックになり隙間がなくなり、地下水がなくなり、魚がいなくなった。
 まわりのすべてをアスファルトにしてしまった。地下水ができる要因は水田の水が地下に浸透する程度であるが、市道も離里道も農道も全部アスファルトになり、雨水が地下に浸透することもなくなった。
 服部も郡家も服部の地下水脈を活用し、伏流水を活用する。戸手(トデ)がある1間~2間四方の井戸だが、井戸は地面より低く、戸手は自噴し、地面よりも高い。真上の村600戸を1つの戸手で賄える水量があった。
 河川の管理の問題として、治水第一にした改修。あくあぴあは両岸が竹ヤブだったので、山からの水が染み出していたが、それもなくなった。今井出は3段だったので魚の行き来はできたが、高い堰になったのでなくなった。いろんな魚の種類があった(淀川の魚が服部にもいた)が一切なくなり、単純になった。安全第一主義として、河川への立ち入りを阻止された。堤から河原へ下りる道路があり、村の人間は流木を取り払ったり、燃やして川原の美化をしていたが、一切できなくなった。堤防については、春は草刈、冬は芝焼きをする。子供の仕事。流木を採取する。流れをスムーズにするため。蛇かごの点検。自分たちの村の川は自分たちで守るんだという発想があった。その川で野菜を洗ったり、鶏を料理し、川の恩恵を受けていた。最近では川の中の土砂をいつとりのぞくのか、という質問に水の量で20%という回答があり、その堆積した土砂を生物のために残しているという話だが、今の堆積の泥の上に生えているのは好ましい植物ではない。ヨシ、アシ、クズなど昔は一切ない目障りなだけの雑草で生い茂っている。なんとか取り除いてほしいし、許されるなら住民の力で除去できると思っている。かつてのネコヤナギやシノダケやノイチゴなど、楽しい植物は一切なくなってしまった。

会場から
Q.)河川法がかわった話のなかで、管理する側として環境に関して配慮したことがあれば教えてもらいたい。
河田)いままでも環境を蔑ろにしていたわけではないが、法改正を契機に環境への配慮をさらにしている。平成21年3月31日の淀川水系の河川環境整備計画を作った。環境への影響を考えながら、影響を把握しながら、もし悪いのであればそこを直しながら、順応的に管理していくように考えている。芥川で行っているのは、河川の縦断的なつながりを回復するために魚道を設置したりしている。
藤本)府としても環境に重視した施策を行っている。まずは治水だが、それから環境を考え、生態系にやさしいかわ作りを行っていきたいと思っているので協力してもらいたい。

Q.)官庁的な話が多く、市民レベルの話をしてもらいたい。
①芥川の流域の植物の生え方、河川の土砂の水位の状況、芥川の避難水位を逆算して,日本の雨は200mmで危険と聞いた。
②堤防からどのぐらいになったら危険水位であるという杭をつけてPRしてもらいたい。
③河川の土砂を除去する目安としての20%をもう少しわかりやすく解説してもらいたい。

Q.)昭和32年に高槻に引っ越してきた。すごくきれいで魚がいて楽しかった。その後開発のいろいろな影響があったが、今はそうゆう影響は少ないので、何かをすれば昔の状況にもどすことは可能か?

Q.)九州で育ったので、川や山はもっと身近であると思っていたが、高槻では川を身近に感じられない。摂津峡や上流は素敵な自然が残っているが、自分たちの生活の中に川の魅力がないと実感する。行きたい田んぼや川がないので自然がなくなったのかな、と思う。先ほどの方が言われたように市民の力で自然が残るのなら、教えてもらいたい。

Q.)ホタルの餌になるカワニナの生息調査をしている。川にヨシが生えてるので、水は片方だけを流れて狭くなっており、雨ではものすごい勢いで水が流れる。カワニナの生息場所がどんどん下へ流されて、いままでいなかった用水にもカワニナがいる。魚道を作るために堰を高くしたので、用水にカワニナが流されている。川の形が変わっている。水の流れる場所が狭く、深くなり、生息した生き物が流されている。最近は子供が水に親しむための地域を作っているが、たとえば門前橋の舞台では、すぐに砂利がたまる。採石場の砂利が上流に残っていて、大雨で流されていると思う。せっかく作った施設を維持するためにこうゆう砂利をとる必要がある。浚渫が20%というが今は何%なのか。もう長いこと浚渫していないので、川の形が変わっている。堆積物を除去してもらいたい。

中島)土砂の問題は芥川倶楽部、河川レンジャー、行政で考える必要がある。

Q.)昭和28年の洪水後、あの思いはしたくないということで治水を行ってきたおかげで、今の生活の安定感がある。そのため周りが見えるようになってきたので、話し合おうという気風がでてきた、話あう時期がきたと思う。

藤本)高槻市がハザードマップを作っている。どこが浸水する、という表現であり、避難勧告をするのは高槻市である。どのような状況で勧告するかは市が作ることになっている。
堆積土砂の除去は、計画河床を基準として、流下断面積の20%で除去するということが今の進め方である。

河田)河川が身近に感じられないのはそのとおりと思う。川が汚くなり、こどもにも危ないと教育しているし、いろいろな問題が川で発生しているのは、川から人を遠ざけたことにある。川は楽しいが危険でもあることをPRし、川にみなさんにきてもらえるようにしたい。川を敬遠せずに、川へ来てもらいたい。

太田)古藤先生と同感で、子供の時分と比較して、非常に殺伐とした状況になっている。昔はもっと環境にやさしい、環境に包まれた生活をしていた。最近、小学校の課外授業で3,4年生を引率しながら芥川の昔の話をすると、「うっそー」といわれる。小さい子どもには昔の状況を理解してもらえない。エコというが、もう一度考え起して自然とわれわれの生活が近寄って行けないかと思っている。

中島)先ほどの意見は河田氏、藤本氏とも受け止めてもらいたい。下流では川に降りられない。今度の11月28日の芥川倶楽部がリバーウォッチングを行う。昨年は下流からJRまでを歩いたが、川に近付ける親水性のある遊歩道があってもいいと思った。いろいろなことを見ながら芥川の現状を知りたいと思うので、参加してもらいたい。
 河川法の改正でも市民の意見を取り入れられる場がなかなか持てない。整備計画を知らない方もいるし、毎日川を見ている人の意見をどう取り入れるかも考えていきたい。
 今日の講演が芥川と淀川の再発見につながれば、と思う。

司会)4回の連続講座で解決の糸口が見つかれば、と思う。

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